98字日記ー2017年5月

5月31日(水)
『鶴瓶の家族に乾杯』が日の出町だったので、みた。先週のこと。同行した木村佳乃さんについて新聞の投書欄に「ハキハキして屈託なく」好感がもてたとあった。懐かしい褒め方だと思ったら70代の人の言葉だった。

5月30日(火)
家に集まってくれるおかげで少し片付く。椅子の上に積み重なったものがどかされて座れるようになる。この状態をキープするには、どうすればいいのか。頂いた苺ジャムをロシア風に紅茶にも入れて飲みながら考える。

5月29日(月)
北朝鮮が次々と弾道ミサイルを発射して核保有国の地位をアピールそれに対して日米は協調して圧力をかけていくという。対話はしない、防衛体制を強化すると日本政府。戦争をしたいようだ。美しいことは沢山あるのに。

5月28日(日)
『English for the Natives』(Harry Ritchie)が面白くて、文法書でありながら読み物のように読んだ。毎週クラスの課題としては「動詞の現在形」を取り上げたが、現在進行形には幾つもの複雑な意味合いがあるという部分。

5月27日(土)
スポーツをする日なのだろうか。小学校では運動会だし、バス停までの道すがら、木立の中を軽装の人たちが大勢歩いていた。いつもは静かな処なのでびっくり。ウォーキングの催しらしく、どの人の手にも地図がある。

5月26日(金)
福音館の『おおきなポケット』は5年前に休刊になっていた。内澤旬子さんの「ガー先生と屋上接骨院」、石田百合さんの「メリノさんのお店」が載った号は大切に持っている。『こどものとも』は年齢別になって、寂しい。

5月25日(木)
アナウンス様々。都営新宿線の車内で初めて歩きスマホの注意を日本語、英語、中国語で聞いた。京急では次の停車駅を知らせる後、必ずもう一つ先の駅名を告げてくれる。船堀駅前では「STOP共謀罪」を訴える声。

5月24日(水)
寸前まで迷いつつ、久しぶりの「北川暁子ピアノリサイタル」にやはり行かれなかった。やはり、と思うのは、最近は自分でも決めきれない状況が多いため。とくに夜の演奏会はためらいを伴う。できないことが増えた。

5月23日(火)
韓国のパククネ前大統領の初公判がソウル地裁で開かれ、報道を賑わしている。収賄などの罪に問われていて、とても残念。二世であろうと、日本に先んじてアジアで生まれた女性大統領、爽やかでいてほしかった。

5月22日(月)
紙面での朝日歌壇。松田わこが3人に選ばれていたけれど今回は室文子(名前が古典的)の方が好きだった。そして『キリンの子』の鳥居が現代歌人協会賞!「橋くぐるときに流れはかがやきをふいに手放す茜の時間」。

5月21日(日)
全日本合唱連盟が創立70周年を迎えて、昨日、記念式典が開かれたという。中野昭さんが事務局長をしていたのは何年にわたってのことだったか。いま生きていればなあ、と思わされる人がなんと多くなったことか。

5月20日(土)
今日の土曜クラスで、このところの過重スケジュールは終了。もちろん楽しいことが多かったのだけれど、最後は今朝5時に起きて添削をするはめに。横浜から帰る京急の中では眠りこみ、終点乗り換えがあって助かった。

5月19日(金)
一日を良き友たちと。玉川田園調布の林邸の庭は新緑で光っていた。笠井久子さんが葉書大で描いた先日の『花粉革命』の3シーンがよくて、こういうセンスを持つ人は羨ましい。『カーネーション』は我が書棚に立つ。

5月18日(木)
上野動物園でシンシンとランランに赤ちゃんが生まれそうだという話を体温の変化グラフなどで詳しくきいたあと、45分で新宿のカルチャーに着けるか、慌ただしい一日だった。7時になっても外が明るいのが幸せ。

5月17日(水)
エディブルフラワーに憧れていて、ついにケーキで愉しむことができた。横浜ニューグランドホテルで、入念に作られた3種類それぞれのフレーバーが優しかった。薔薇の花びらのロールケーキにまた来年も会えるかな。

5月16日(火)
昨日、話を聞いて心惹かれた英国地質図の課題をクラスでして、今も同じように翻訳塾に来てくれているのは、と数えると14人。12年前のことだったのに・・・ひたすら週を重ねて、気づくと一つの場が出来ていた。

5月15日(月)
イギリス最古の地図という英国地質図が科博で開催中の大英自然史博物館展にきていると、ロンドンで王立地質学協会を一人訪ねて非公開のその地図を見てきた平綿さんから教えられる。2005年に課題で取り上げた。

5月14日(日)
5年というスケールが長いのか短いのか、よくわからない。日々、ここに書いてきてちょうど5年。その日にあった一番大切なことを記すわけでもない。むしろ自分のいい加減さの記録でもある気がして。いいのだろうか。

5月13日(土)
ガッカリの3乗の日。大雨のなか、すべてが遅れ遅れで間に合わず、最後は勝どきの部屋に入った時、もうMが発った後で部屋ががらんとしていた。エルメス・スタジオの映画も申し込み開始と同時に満員になる。

5月12日(金)
開演時間寸前に通りかかり『ラ・ラ・ランド』を観る。エマ・ストーンとライアン・ゴズリングの主演二人とジャズ何曲かは良かったけれど、新機軸のミュージカルではなかったのが残念で、見たようなシーンが多すぎた。

5月11日(木)
夕方から深夜まで、ぼうっと過ごしている。月に一、二度しかない貴重な空白。と言いつつ、することは山ほどあると、せかかせかした気持ちを抱えこんでいるのが情けない。キース・ジャレットのCDはつまらなかった。

5月10日(水)
横浜のクラスの後は大抵40分ほどロビーでクラスの人達と過ごし私は駅なかのセブンイレブンのイチゴ・サンドイッチが気に入っていたのに、とつぜんなくなった。その前はオニオンのオープンサンドが消えた。困る。

5月9日(火)
『騎士団長殺し』は読み終えてから個人的な思い入れが重なり、私の中で熟成しつつある。『薔薇の騎士』のレコードはゲオルグ・ショルティ指揮のウィーンフィル。雨田具彦と同じ頃に東京美術学校にいた父は画名が飛鳥。

5月8日(月)
3、40代の女性たちの行動が頼もしい。乳児用の飲むミルクの解禁を求めたり、身体上の理由で服の脱ぎ着が難しい子ども用の服を作ったり。と思っていたら鶴丸礼子さんという人がいた。アトリエ名は「服は着る薬」。

5月7日(日)
笠井瑞丈『花粉革命』。シアタートラムで。2001年にここで笠井叡初演。空間を満たして踊りきった息子に舞台でぐいと赤い薔薇の花束を押し付けた叡氏が公演39回の次を踊らずに演出・振付に専念した歴史的瞬間!

5月6日(土)
横浜そごうの『ルドゥーテのバラ図譜展』に寄る。マリー・アントワネットのお抱え絵師の銅版画。意外と充実した会場だった。誰か誘って、と思っていたけれど、ミヤノさん以上の植物無知としては一人で、さらっと。

5月5日(金)
明日は翻訳塾が始まるので準備に忙殺(そうでもないけれど)される。休みがあっても結局、前日にすることになり、あたふたとコピーしたり。今朝の6時までの5分の名曲はブラームスで、良きドイツの部屋の様子を見る。

5月4日(木)

三鷹で姉と待ち合わせ、バスで調布、多摩川へと従姉妹を訪ねる。抜群の記憶力、頭脳の閃きは足腰が不自由になっても衰え知らず。でも私達は思っている。ああ、美枝ちゃんの超激・画才が活かされたらよかったのに!

5月3日(水)
憲法施行70年。いつもながらのささやかな意思表示として「市民意見広告」に名を連ねる。今回は11209人の寄付により全国紙三紙に全面広告を載せられたという。願いは美しい自然と共に人間が生き延びること。

5月2日(火)
志の輔らくごをWOWOWでみる、きく幸せ。もちろん生の舞台は最高で、あのファクスが舞台上部から現れた驚きは今も感じるが、テレビで細部まで見て、言葉が全部聞けるのは別の楽しさ。今日は枕の富山が集められて・・・

5月1日(月)
「しかし、『私』という言葉だけは、けっして『外から』耳を通しては入ってきません。宇宙の中で、たった一つだけ・・・それは、カラダの内部からのみ響きます。」(書肆山田刊、笠井叡『カラダという書物』から)