98字日記ー2023年2月

2月28日(火)
何か検索していて、『ひとりのときに』への感想を魔女を名乗るひとが書いてくれたブログに出会った。嬉しくて、私の夢は魔女になることだと98字でコメント欄に書いた。偶然、2月28日2時28分だった。魔女になれるかも。

2月27日(月)
ヒューマントラストに行く最短距離が身についた。結局、考えずに歩ける勝どき駅で地下鉄を降り、バスで有楽町駅前まで行くのが最少時間、最低旅費。帰りは映画館のあるイトシアから2分のバス停から10分でしごと場前に。

2月26日(日)
一度読んだ本の気になるところを読み返す。このところ読んだ本が、どれも自分の中にしっかりと収まっていない。楽しく読み飛ばしたのなら、それはそれでいいのだけれど何となく納得しないまま置いてあるものが数冊。

2月25日(土)
ロシアのウクライナ侵攻から1年。キーウ古生物博物館でピドプリチュコ館長と私との間で通訳してくれた、当時モスクワ大学生の息子さんが、日本での展覧会開会に、私にと手作りのペンダントを託してくれた。今も大切に。

2月24日(金)
いつも、あっという間に、あらゆる種類の紙類が部屋の中で居心地よさそうに伸び伸びと振舞っている。片付けたつもりになっても、居場所の位置が変わっただけで、またひょっこり出てきて少しも減らない。本や雑誌たちも。

2月23日(木)
昨夜は心が沈んだ。理由があったわけではなく、昼間はむしろ翻訳塾があって気持ちは晴れていた。躁鬱の傾向はない。大体がぼんやりとしている。不意に、もういいかな、と思うだけ。何が、というほど明白な意識ではない。

2月22日(水)
テレビ漬けだったのに最近はスマホでBritain’s Got Talent やAGT をみる。サイモン・コーウェルのことはよく知らないけれど、彼が選ぶ新たなスターは確か。あのスーザン・ボイル、ドルシー・リン、ナイトバード(It’s OK)。

2月21日(火)
新聞広告にURコードが付くのは珍しくなくなった。でも集英社の書籍広告に付いたコードを読込み、さらに本の装丁でチェロを弾いている主人公にスマホをかざすとバッハの無伴奏チェロ組曲が流れてくる!紙面から音楽が!

2月20日(月)
イオセリアーニが「人生は予期していなかった”贈り物”。生きていくことは小さな遊びだ」と言っている。昨日、バスで隣りあった人に、買ってきたアボカドを一つ上げると言われて遠慮したけれど、その温もりがまだある。

2月19日(日)
まずは見逃していた『素敵な歌と舟はゆく』。ドアが開いてはバタンと閉まる。人の関係がよく分からないながら自分がいつの間にかその一人になっているような、全く違うシーンが継ぎ目なく繋がっていく不思議な緩やかさ。

2月18日(土)
イオセリアーニ映画祭はヒューマントラストのメールで知っていながら、日程決定のチェックを忘れていた。昨日から始まったと横浜で宮野さんから聞けてよかった。座席表を見ると空いているので、明日行って予定を組もう。

2月17日(金)
逗子に住むひとから紅梅が咲いたとメール。今朝、わが住処の小径でも白梅が一斉に花を開いていた。思わず立ちどまって見上げていると、通りかかる人が歩みを緩めて眺めていく。花壇にはパンジーが溢れ、春が来る気配。

2月16日(木)
NYに近い町で20世紀初頭、まだ電気冷蔵庫がなくて氷を届けさせる短編を課題で訳していて、日本では1965年に一般家庭のやっと半分が備えたと知る。夏に自転車で吉祥寺駅傍の炭屋に氷を買いに行かされたのを思い出す。

2月15日(水)
展覧会のポスターにも使われているエゴン・シーレ『ほおずきの実のある自画像』は1912年、つまり110年前制作ということ。もう一度みに行こうか。時代はそれを紅茶のパッケージや菓子缶の蓋に印刷している。32.2x39.8cm。

2月14日(火)
江戸川区では長年、区民1人に10本の植樹を目指していて昨年、達成した。今年は温室効果ガスの吸収量を排出量より多くするカーボン・マイナスという目標が示された。まだ樹木の効果は加算されていない。もっと緑を!

2月13日(月)
雨の朝、メトオペラ『めぐりあう時間たち』を東劇のスクリーンで。映画の”The Hours” もよかったけれど、三人の女性、三つの時代が同時進行で結ばれ、踊り手たちの抽象性が鮮明で、オペラならではの表現に心を委ねた

2月12日(日)
暖かく晴れ上がり、洗い、干し、掃き、拭き、捨て、運ぶ一日。でも、しようと思ったことの十分の一も出来ずに夕方になっていた。マグカップにたっぷりと熱いカフェオレを淹れてため息をつく。生活って手間がかかり過ぎ。

2月11日(土・休)
都美で『エゴン・シーレ展』。いい構成で、28歳までの生を叩きつけるような若さが溢れながら、そう知らなければ積み重ねられた感情の厚みを感じさせる。40年以上前、クリムトとシーレにはまっていた自分を思い出す。

2月10日(金)
大雪警報に足止めされては雪が降らないことが、どうして度々あるのだろう。「転ばないようにね」「がんばる」と大雪の甲府からのメッセージに答えて歯科を予約通りに済ませ、早々に帰宅。美術展にも映画にも行けず・・

2月9日(木)
あれやこれやの広告が新聞でも折り込みチラシでも目につき、気になる。いつまでもスタスタ歩ける、幾つになっても筋肉は鍛えられる、遠くても近くても良く見える、血がきれいになる・・・じっくり読むけれど買わない。

2月8日(水)
よく言葉足らずで誤解を招く。この前は「お名刺をいただいたのでお返ししたい」と言ってしまった。「返礼として私の名刺をお渡ししたい」と言いたかったのだけれど「いいえ、どうぞお受け取りください」と言われた。

2月7日(火)
昨6日朝、トルコ南部でM7.8 の地震があり、近接するシリアを含めて4000人以上が生き埋めとの大ニュース。この数はもっと大きくなるに違いない。しかも内戦中のシリアでは、その北部に百万人もの国内避難民がいるという

2月6日(月)
今年は池波正太郎生誕百年。67歳で亡くなった。10代で自分に課した書く訓練として休みの日の朝は必ず外を2時間歩き、その間のことを可能な限り全て文字にした、と読んだ覚えがある。書く職人だった。エッセイの師匠。

2月5日(日)
娘は別として誰かと待ち合わせて食事をしたのは、この3年間で何回かしかない。ひとえにコロナ禍の弊害。やっぱり楽しいと再確認した。パエリヤが、もっとふっくらしていればよかったけれど。かおるさん、ありがとう。

2月4日(土)
明日が最終日となり、『大竹伸朗展』をみに横浜の帰りに竹橋の近美に行く。圧倒的な質感量感のコラージュが次々と迫ってきた。4階のいつもの場所で休み、展覧会は混まないうちにみることを改めて自分に言い聞かせた。

2月3日(金)
佐々木未来『ほんとのはなし』はたいらに読まない。「ほん」と強く読んでから一気に「とのはなし」と軽くよむ。と理解してから、抑揚をつけずに何気なく、たいらに読むのがいい。と分析してしまうほど好きな世界。

2月2日(木)
ACC横浜の受付で『ひとりのときに』を買ってくれた方から事務局を通じてサインの要望があり、50年ほど前に慶應大学生だったその人に企画部員として対応した私を忘れずにいてくださったという。人生のひとこまの光。

2月1日(水)
バス停から大通りの向こうに見える木々の中でも一番大きな常緑樹はブロッコリーのようだ。スーパーで買ってくるブロッコリーを千個集めて一個のブロッコリーにしたように優しく丸まっている。私は茎も刻んで食べる。