98字日記ー2022年3月

3月31日(木)
ウクライナの地名の表記を変え、キエフがキーウになるという。ロシア語読みだったのをウクライナ式にするのはグルジアがジョージアになったのと同じ経過となる(その国の言語によるならサカルトベロだけど)。

3月30日(水)
久しぶりに春らしい暖かな日。立派な桜も素敵だろうけれど、我が敷地内や校門脇にひょろっと立っている木が精一杯、枝を広げ花をつけているのも、心に響く。真っ白な雪柳の群生、色とりどりのパンジーの花壇も。

3月29日(火)
金星と火星と土星が細い月のすぐ近くでトライアングルを成しているはず・・・だけれど、南東の高度10度ではどこかまで行かなければ見えないだろうし夜明けの1時間前には、ということで、桜の満開を地上で楽しむ。

3月28日(月)
企画のOB達が過去の事業を記録しておこうと私にもチェックの依頼があった。図録も数冊しか手元にないので記憶を頼りにマケドニアのイコン、大聖堂でのタペストリー、珠玉の香合展などを懐かしさと共に伝える。

3月27日(日)
本棚にある本を再読(時に初めて)している。エティ・ヒレスムの書簡『生きることの意味を求めて』を読んで今のロシアとウクライナに思いを馳せる。日記『エロスと神と収容所』に次ぐもの。優れた大社淑子訳。

3月26日(土)
昨日バス停で、一人でいた9歳くらいの女の子が本当に懐かしく愛らしかった。青い濃淡模様の半袖のワンピースの切り替えから下が優しいフレヤーで、丸襟の胸元に貝ボタンが並ぶ。Mによく着せた服に似ていた。

3月25日(金)
三菱1号館で上野リチ展。ウィーンと京都を行き来したデザイナーで、常に軽く伸びていく感じがあり、優しい色に品がある。「かわいい」という言葉をかぶせるのは違う。改めてウィーン工房の完成度の高さを思う。

3月24日(木)
なんと数ヶ月怠けていたジョージア語・・取り掛かれば単語のいくつかは覚えがあり、曲線の多い文字はぎこちなくなりがちだけれど練習問題をやり、読み物「イリヤ・チャヴチャヴァゼ」を訳して事務局に提出。

3月23日(水)
栃ノ心が8勝!幕内にとどまるかどうか不安だったのが、今場所は立派。今日の勝ち越しは吊出しということは力が入るようになったのだ。なんて、私が書いているのが不思議ですね。ジョージア・ファンだからです。

3月22日(火)
3月にありがちな突然の寒さ。都心でも雨に混ざって雪が舞った。昨日まで3連休だったにしても郵便物の配達がものすごく遅くなっている。今日届いた4通のうち2通は先週の木曜日に都下で出したもの。どうしたものか。

3月21日(月)
ジョージア語の勉強をしばらく、全くしていないことに気がついた。先月は時間があればジョージア映画をみることにかまけていたし、あとはとにかく絶えず他の文字を見ることに忙しい。この忙しさ、少し減らしたい。

3月20日(日)
t さんからのメールに、昔、ドイツに留学中、月に一度はオペラに行っていたと縷々書かれていた。m さんとの電話で、昔、睡眠薬に頼る数年間があったと聞いた。それぞれが様々な思い出と共に今を生き、明日も。

3月19日(土)
ぱくさんから岡崎乾二郎さんの TOPICA PICTUS を送られて嬉しい。パリとLAの画廊で発表した作品を冊子にしたもの。竹橋のコレクションに入っているものも含め、一点一点、手にとれる軽やかな紙の風合いがいい。

3月18日(金)
『上を向いて歩こう』はなぜいつも明るく歌われるのだろう。どこにも幸せな言葉はないのに。坂本九も笑顔いっぱいで歌った。でも今やその生き生きと歌う様子が手元のスマホで見聞きできるなんて。B、どう思う?

3月17日(木)
手帳に年齢早見表が付いている。102歳から0歳まで。私はこよなく102歳に近いし、その表全体の短さと言ったら! でも、長さと見ることもできる。こんなに長い道を歩いているのだ、という思いにもつながる。人生。

3月16日(水)
横浜、国立、新宿と住処に合わせて私の講座にずっと席を置き、いつも温かく包んでくださった峯岸文子さんが今朝4時に亡くなられたと笠井久子さんからしらされ・・・ここしばらく、その予感に怯えていた私は・・・

3月15日(火)
「歩こう会」が大江戸博物館に行くとのことで、ご案内をもらい、足手まといにならない範囲で参加した。7月から4年も閉館するので、うっかりすると、もう見ないかも知れないと思って。昼食は霧島のちゃんこ屋で。

3月14日(月)
相変わらず、もっともアナログ的に確定申告をする。列に並んで税務署の窓口に提出した。書類のどこにも印鑑を押さなくていいと確認したかった。毎年変わりますからね、と穏やかに説明されつつ受理は1分で終了。

3月13日(日)

私には、ゆりかさんがいいと言えば、絶対にいいし、害と言えばよくない。昨夜の電話でゆりかさんが音楽って何か考えたという。生まれた瞬間から音楽の中にいたひとが今も? 幾つかあげた最後が「祈り」だった。

3月12日(土)
ブリテンが『戦争レクイエム』の前に作った『シンフォニア・ダ・レクイエム』(1940)を聴きにすみだ平和祈念音楽祭へ。1945・3・10、無差別爆撃で火の海となった場所にたつトリフォニーホールで。下野竜也指揮。

3月11日(金)
退屈することはないけれど、2、3日ひとと口をきかないのは、ちょっと、と思うことはある。電話でなくメールで、とも言われる。今日は家に閉じこもり、確定申告の仕上げをしながら、最近入手した数冊の本を読む。

3月10日(木)
高橋悠治リサイタル「Bのバガテル」、浜離宮ホールで。ベートーヴェン、バエス、バルトーク。私にとっては全てが初めて。Mが言う。「悠治さんは歩くとふらふらしているのに、あんなにきれいな音を響かせる・・・」

3月9日(水)
朝日のデジタル紙面も購読しながら、ときどき見るのは速報くらいで、じっくり読むのは圧倒的に紙。でも土曜クラスの児島薫子さんに多和田葉子の連載小説の挿絵が全部カラーだと教えられ、愕然とした。そんな!

3月8日(火)
ユリアンナ・アヴデーエワのピアノはBSの放映でしか聴いていないけれど、好き。あればコンサートにいきたい。衣装がいい。黒の細いスラックスにパンプス、シンプルな黒と白のブラウス。ロシアの人だ。辛い。

3月7日(月)
美枝ちゃんが今朝、亡くなったと、息子の隆さんから知らせがあった。大好きな従姉だった。89 歳。芸大油絵を出て、豊かな感性と深い知性を包みこんでいた。私はなぜ大好きな人達にもっと多く会わなかったのか。

3月6日(日)
笠井叡新作舞踏公演「牢獄天使城でカリオストロが見た夢」を世田谷Pシアターで。久子さんも白い衣装で車椅子に座り詩の朗読で出演。見ているだけなのに自分の命はそこにあったのかと見つけたような瞬間がある。

3月5日(土)
横浜クラスがある日で9時41分のバスを待っていると、女の人に挨拶された。空が青くてきれいなどと話していたら、毎日、どう過ごしています? と聞かれて言葉に詰まってしまった。あなたは?と聞くのだった。

3月4日(金)
コロナ禍でクラスを休み、課題訳を郵送する人もあり、最近、赤地に手紙を持つ黄色のトラの切手が楽しいなあと思っていたら、今日、それが今年の年賀状お年玉なのだと、私の当選葉書を局に持っていって分かった。

3月3日(木)
春めく。この世に生まれて海を見ないまま大人になって、この世を去るひとはどれくらいいるかしら。昔、はたち過ぎるまで海を見なかったというアメリカ人が職場にいた。目の見えない人も海は感じることができる。

3月2日(水)
40 数年前、キエフ古生物博物館に仕事で行った合間に観光2時間コースに加わった。英語でのガイドは50代の知的で上品な女性だった。薄茶色のコートと靴の彼女の写真が手元にある。今、キエフがロシア軍の砲火下に。

3月1日(火)
「簡潔にいうならば、この映画の主たるテーマは人の過去との関係です。日本人の金継ぎの技のように金の糸で過去を継なぎあわせるならば、もっとも痛ましい過去でさえ財産になることでしょう。」(ジョージア映画『金の糸』ラナ・ゴゴベリゼ監督の言葉)