98字日記―2012年7月

7月31日(火)
グルジア語の文法。動詞の接続法現在形は未完了過去の語尾を変化させてつくり、用法は接続法過去とほぼ同じ。過去形あるいは接続法過去形のない動詞の代わりとなる。接続法未来は過去未来からつくる。たのしい!

7月30日(月)
目覚めのBSの音楽はグザヴィエ・ド・メストレの演奏だった。重厚で華麗な彫刻が美しい金色のハープを、黒のシャツとスラックスという姿で弾く。ベネチアが主題の曲が多いプログラムが雰囲気にぴったりだった。

7月29日(日)
夏が烈しく深い。「キラキラと一秒ごとの吾をみんな誰かにあげてみたい夏の日」(紫藤幹子)/「今日は七月のおわりの日、七月はぼくの好きな月だ。金子堂に原稿用紙を買いにいこう・・・」(菅原克己全詩集から)。

7月28日(土)
五輪開会式は国ごとの「銅の花びら」が聖火の器となった演出がよかった。行進のとき、花びらを持つ男の子と並んで国名を持つ女の子の服が懐かしさのある斬新さで、写真をちゃんと見たい。白いベルト付きの靴も。

7月27日(金)
ラウル・デュフィの壮大な壁画「電気の精」をパリ市立近代美術館で見たのは、10年以上前だった。この青を基調とした1953年の作の絵葉書をもらって、ときどき眺める。電気は神秘的な喜びだったのだと思う。

7月26日(木)
ロンドン五輪は開会式に先駆けて女子サッカー予選で始まった。なでしこは応援するけれど、初戦に勝ったからって新聞、テレビがスペースや時間をこんなに使うべき? 3週間、大事なことを見失わないようにするぞ。

7月25日(水)
ごみを捨てにいくと、私の手から袋を奪うようにして、重いごみ箱の蓋を持ち上げて捨ててくれる人がいる。2回目。多分、耳が聞こえないのだと思う。後ろからでなく顔が見える位置に回って大きな声でお礼を言う。

7月24日(火)
薄いサンドイッチパンが固くなって冷蔵庫の隅にあった。胡瓜のサンドイッチを作ったのはいつのことだったか。フレンチトーストにしてシナモンパウダーをたっぷりかけた。台湾の阿里山高山茶がこよなくおいしい。

7月23日(月)
昨夜はパハマンのピアノを良い録音で聴いて過ごした。100年近く前の演奏なのに、音が深く清らか。私はこの40年、身を刻む心配事も多かったけれど優しさに支えられてきたと思いつつ、いつの間にか眠っていた。

7月22日(日)
したいこと、しなければならないことができない。疲れた! と音を上げたいこともある。ペースのあがらないこういう日は、家に帰り、ソファに埋もれよう。注文したCDが届かないし、いろいろ壁にぶつかっている。

7月21日(土)
横浜へは日本橋から1本なのに、月に2回の土曜日は幾度も乗り換えて泉岳寺で10時49分の始発に乗る。二席ずつのボックスシートで外を見る20分が大切なとき。必ず会うひとがひとり、必ず見るものがふたつ。

7月20日(金)
アルフォンス・アレーの小品をエドワード・ゴーリーが訳して絵をつけた『STORY FOR SARA』は、3年前にカレンダーとして手に入れた。ゴーリーはもっと早く知りたかった。Gotham Book Mart に行きたかった。

7月19日(木)
よくやったと自分を褒めるのは、棚に並び床に積み上げロッカーに隠れた本、本、本の中から目指す一冊をさっと見つけたとき。今朝探したのは『ほざくな チビッ子』(山田小枝子訳)で、1969年から持っている。

7月18日(水)
これから乗客を迎えにいくらしい屋形船が隅田川を通るのを、上から眺めているのが好き。たいてい、一人がのんびりと屋根の上で膝を抱いている。風が吹いていて気持ちいいだろうなあ。歌っているのかもしれない。

7月17日(火)
梅雨明け、といわれてもピンとこない九州での豪雨や関東での猛暑。館林で37度と聞けば、その近くに住む友を想い、大分の洪水を知れば、知人よ、どうぞ無事でと祈る。で、私は涼しい所で空を眺めているのだが。

7月16日(月)
午後7時。まだ西の雲が金色に染まっている。ほかの青灰色の部分とのコントラストがあまりに綺麗で、ひとの行いや考えをすべてそこに乗せてみたい。代々木公園の「さようなら原発集会」には17万人が集まった。

7月15日(日)
地元の会で記録を頼まれ、iPad で打ち込んでいく。雑談の部分は手書きでメモをとる。2時間足らずの会議をまとめるのに、その後2時間はかかってしまう。前からそうだったかしら。なんだか遅くなった気がする。

7月14日(土)
築地市場に沿った隅田川によく停まっている黄色い漁船は第一八幡丸という。仕事場の窓際でパソコンに向い、ふと目をあげると、いる。いつもとつぜん空から降りてくるのだ。しばらくしてまた見ると、もういない。

7月13日(金)
英語の本を原書で読むようになった初期の1冊がフォースターの『ハワーズ・エンド』だった。初めて和訳に惹かれ、『天使も踏むを恐れるところ』を読む。中野康司訳がよく、楽しみつつ教えられることが多かった。

7月12日(木)
風が強い。厚い雲の層の下を白い雲がひゅんと流れていく。そこへいろいろな形の雲の塊が次々と通りかかっては、薄い雲を抱きこんでいく。空全体が動く。心も揺れる。上野でパンダのあかちゃんが、きのう死んだ。

7月11日(水)
バスに乗ると、前向きの高い席に座ったおばあさんが私に言う。「飴、ありません?」。二つ、出してあげる。私が席に着くと、隣のおばさんがこっそり言う。「みんなにね、ああやって貰ってるんですよ」また会えるかな。

7月10日(火)
不登校の生徒たちが勉強にくる所を何カ所か廻って英語をみていたとき、特別授業なので皆でお茶を飲みましょうと専任の先生がよく言ってくださった。家では熱いお茶をいれて飲むことはないという生徒が多かった。

7月9日(月)
江戸川区では住民票のような書類は各地元の出先機関で夜9時半まで、土日を問わず申し込みを受け付けてくれる。しかも平日なら次の日に書類はそこに届いている。昔はなかった「優れたお役所仕事」で、ありがとう。

7月8日(日)
栞が好きで、手元に集まっている。自分では、つい紙をたたんで挟んだりするのに。糸の栞が本に綴じ込んであるのは日本だけだとか。最新の栞は博多の古書店から本を取寄せたときに同封してくれた店主手作りのもの。

7月7日(土)
翻訳塾のひとつでジョン・スタインベックを読んだことがあるのは私と同年の人だけだった。ついでに薪や石炭でたくストーブを見たことがない人もほとんど。夏に胸をはだけてお腰だけのおばあさんを知らない人も。

7月6日(金)
家の周囲で緑の木立の中を歩くと、短い距離でもほっとする。すぐ近くにある2メートル以上高い木にとつぜん紫陽花が咲きはじめてびっくり。一本一本の木を見ながら歩くと、葉が、幹が言葉をもっているとわかる。

7月5日(木)
『なのはな』を含む萩尾望都の作品集をMから借りた。車中で一気に読み、嬉しかった。表現者が3・11をこのように捉え、こんな形で刻むとは。プルート夫人の華麗なこと!福島の人たちは「帰っぺ」とはまだ言えない。

7月4日(水)
「東京スカイツリー駅」は間違いだった。正しくは東武鉄道伊勢崎線の「とうきょうスカイツリー駅」。スペースも、人間の知性にも大いなる無駄ではないかしら。懐かしい「旧業平橋駅」が付記されてはいても。

7月3日(火)
胸にわだかまりのあるときは何もすらすらと進めていかれない。うっすらと光はあるのに中空が曇っていて、地上には細かな雨がずっと降り注いでいる今日の天気のよう。あるがまま受けとめることも時には難しい。

7月2日(月)
家に帰るのに、よく東京スカイツリー駅行のバスに乗って、途中で降りる。そのうち終点まで行ってみよう。タワーは建物の合間から見えたりするが、夜の照明はひっそりと寂しい。冬色の東京タワーが心ににじむ。

7月1日(日)
サイモン・ラトルがベルリン・フィルでマーラー「巨人」を振る素敵なフィルムをみて、聴衆もいいなあと思った。鳴り止まない拍手・・・はどこででも同じだが、一斉ににこにこ笑っているのだ。シンガポールで。