98字日記ー2014年4月

4月30日(水)

世界卓球東京大会の団体戦の放映に眼を奪われる。卓球の試合が清々しいのは、他のスポーツほど試合中に咎めだてされることが少ないからだと思う。時間をかけすぎたとか線を踏んだとか、ルールの順守が優先しない。

4月29日(火)

水、木と連休中の谷間で翻訳塾はお休みの人が多いだろうか。私にとってはそれぞれが週に一度の生き生きした時間なので、いそいそと出掛ける。弱点はメトロにあり、往復同じホームなので、なぜか必ず違った方に乗る。

4月28日(月)

京の三条の糸屋の娘/姉は十八 妹は十五/諸国大名は弓矢で殺す/糸屋の娘は目で殺す。「起承転結を意識し、3行目を書け、もっと勉強しろ」。数十年前に手書きで渡されたデスクの忠告は今も宝。紙だけが黄ばんだ。

4月27日(日)

早川大府さんの帰天1年で偲ぶ会に招かれる。これほど死と遠い人はいなかったのに、と今も思う。総合病院長で山男でオピニオンリーダーが・・・ふとした事故のために一人で山の上で逝ってしまった。人生をおもう。

4月26日(土)

昨日まで東京タワーがいつもと違った艶やかさだったのは、オバマ大統領の来日を記念した星条旗の色をまとっていたからだった。東京は、ましてや皇居は草木の緑が溢れんばかりに美しい。大統領の目に入ったかしら。

4月25日(金)

書肆山田の『るしおる』を基にした最新刊を笠井久子さんから借りて読む。山崎佳代子『ベオグラード日誌』。セルビアの現代詩もいくつか訳され、挿入されている。こういう言葉の紡ぎ手の存在を知れて幸いだった。

4月24日(木)

時々なんの予定もない日がほしい。このところ、そういう日が一日もなかった。明日から少し余裕がありそうで、ほっとしている。桜は近所でみたほか、今年は友人達が送ってくれる写真がどれも見事でe花見の年なり。

4月23日(水)

太ってはいけないとドクターに言われようとも、カリッと焼いた薄いパンに手製のマーマーレードをのせ、カッテージチーズをのせ、熱い焙じ茶を添えてたべる幸せをすてられない。野菜たっぷりのスープの後とはいえ。

4月22日(火)

理系の本を読むのは学生の頃からかなり好きだったけれど、真の開眼は吉井良三『洞穴学ことはじめ』だった。チューブワームという深海に生きる生物が宇宙生物の存在を窺わせるという話を聞いて、それを思い出した。

4月21日(月)

朝3時半頃目覚め、BSで英国ロイヤルバレエ団『不思議の国アリス』の最後1分。青年がアリスを見送り、ベンチの上の本に思わず引込まれていく素敵なシーン。その後のカーテンコールで奇抜な衣装が全部観られた。

4月20日(日)

朝刊で夏目漱石の『こころ』の連載が始まった。100年前、大正3年の今日、朝日新聞紙上で始まったのと同じ形で。もちろん読んだことのある作品だけれど、ルビが適度にふられ、新しいものに触れる気がする。

4月19日(土)

朝のバスで。縦列一人がけの席の女性が抱える長い枝花の先が傾き後ろの席の男性の顔に当たった。男性は身体をずらして避ける。和服の女性が横に立ち声をかけた。花の女性は平謝り。和服の女性は花の美しさをほめた。

4月18日(金)

韓国の南西部で一昨日、旅客船が沈没し、修学旅行中の高校生を多数含む300人近くがいまも船内にいて、救出されていない。船は完全に海の中。人災も天災も時を選ばず突然噴出する。平安は祈るしかないこと?

4月17日(木)

掃除が本当に苦手で、すぐに埃がたまる生活をしている。両親は一日の朝と夕方、必ずはたきをかけ箒で掃き、雑巾をかけていた。仕上がりだけが好きな私はいつも畳に寝転がって本を読んでいた。隔世遺伝に頼りたい。

4月16日(水)

横浜駅で40分も時間があったので、タリーズでドーナツとコーヒーを頼んだ。階段が急なので最近は上がらないのだけれど「お持ちしますね」と若者に言われ、続いて「お久しぶりですね」という言葉にがんばって二階に。

4月15日(火)

春だというのに夕方は空気が冷たく肩をすくめる。本屋に寄り、気になる本をチェック。処分にこれだけ苦労していながら、もう次に欲しい本が待っている。北原白秋が訳したマザーグースの復刻版の注文はどうしよう。

4月14日(月)

発泡スチロールでできた横幅10センチくらいの細い台から丸いスプーンの先のようなものが4つとび出しているもの、なーんだ?バス停の前の百円ショップで古紙を縛る紐を買っているときに見つけた。足指パッド。

4月13日(日)

いつも使うディエチ・コルソコモのトートはボロボロで、表の二重丸の模様は擦り切れて無地の墨色にしか見えない。でもこれが好き。ミラノに行っているMから持ち手が緑の新しいのを買ってくれたとメールが届いた。

4月12日(土)

『チボー家の人々』は高校生の頃に読んだものの、それ以上は記憶にない。今、5巻の古い単行本の訳者あとがきを感慨深く読む。戦争を挟んで14年かかったという山内義雄訳。今もそのまま13巻の新書で出ている。

4月11日(金)

好きな本、大切な本、著者から贈られた本などを自宅にまとめたので、家にいるのが一層心地よい。ただ詩集はなぜか仕事場に多く、それはそれで川や雲を見ながら、ひとつ、またひとつと心に刻むことになるだろう。

4月10日(木)

ぜひライブで聴きたいアーティストはギターのパク・キュヒ。これまでに二回、早朝のクラシック音楽番組で聴いたが、音の響きの澄んだ明るさが忘れられない。確か武蔵野市民ホールでの演奏で、願わくば都心か下町ででも。

4月9 日(水)

雑誌は欲しがられない。今回かなりの数を潔く紐でくくって古紙とした。でも雑誌が最高に好き。さっきも15年前の『太陽』の1冊を捨てられなくなった。産業遺産、東京の川の旅、荒俣宏「ウイアードテールズ」。

4月8日(火)

白い兎がぴょんぴょん跳ねる。50円の葉書にも80円の封書にも消費税増税分2円を足すのだ。郵便局に数年分の書き損じ年賀葉書を持っていき、その一部を2円切手百枚のシートにした。薄紫に白。ぼやっとした兎たち。

4月7日(月)

古本屋にまとめて出すとまるで雀の涙のような値段にしかならないとは聞いていたけれど、初めてそれを実感した。誰かが一度でも読んで処分してくれたら、という本もまだあったので未練があるが、でもさっぱりした。

4月6日(日)

テレビ朝日の番組でみたもの。海外協力隊員としてケニヤにいる31歳の土田和歌子さんの要請で、68歳の井戸掘り職人田中吉彦さんが失敗を乗り越えながら僻村に井戸を掘り上げる。原発輸出の対極にある人の心。

4月5日(土)

昨夜は途中で起きて本を数ページ読んだりしながら、延べ8時間、ぐっすり眠った。まだ眠り足りなく、きっと今夜も。明日は久しぶりに出かけず家にいたい。で、段ボール箱に詰めた本や牛乳やチーズを受け取る日にする。

4月4日(金)

いつも整理してきた名刺がどこかから2百枚ほど現れた。会ったことを忘れている人も、思い出せない人もいる。亡くなった人も多く、辻井喬さんと堤清二さんの名刺は一緒にいただいたに違いない。全体で8枚ほど残す。

4月3日(木)

最後も完璧な二人の友人に助けられて仕事場の移動完了。やった!仕事場と呼ぶのは少し面映いけれど、要するに本のある遊び場。早く帰って寝たい、と思って戻って来れば、家でも寝るよりぐだぐだと遊んでいたい。

4月2日(水)

翻訳塾ではまず各自が訳すことが基本。今日初めて横浜のクラスで「検証」をした。新聞半ページ大のポール・オースター筆のNYT記事とその訳を吟味するのは面白かったと思うけれど、みんなの反応はどうだったか。

4月1日(火)

3時間ほど救いの神が現れ、てきぱきと片付けてくれるのを見ていて自分でもできる気になったのに、その後の7時間で本を数冊動かしただけの自分が本当に情けない。1冊の本のとれた表紙を探してうろうろしただけ。