98字日記ー2013年9月

9月30日(月)

福井県の瓜割の滝の流れだった気がするけれど、定かではない。どこかの里山の風景。きらきら透き通る川の水で毎朝、お茶碗を洗う人。4粒、5粒と白いご飯粒が離れて浮くのを魚たちが寄ってきて、ぱくっと食べる。

9月29日(日)

森まゆみさんの『震災日録』(岩波新書)は副題の通り「記憶を記録する」ものとして、ときどきページを繰らないではいられない。説や論や調査をまとめたものでなく、日々に重ねて書いているからこそ生きた力がある。

9月28日(土)

前から気になっていた『新幹線お掃除の天使たち』をようやく読む。涙。東北新幹線は大震災中に、後に、被災地と東京とを結ぶ場でもあった。トイレの掃除など、ただ深く頭を下げずにはいられない。女性たちの輝き。

9月27日(金)

バスを待つ間、よくお年寄りの話をきく。息子が16歳から4年も入院と透析を繰り返し、今でも弱くて困るけれど3人の子どもの父親。二人の娘からは兄ばかり気にするなと叱られる。でもねえ、と同意を求められる。

9月26日(木)

プロ野球は全然知らないのに、今夜のパ・リーグ戦はBSで。東北楽天が初優勝。楽天の応援は敗けているときも温かいとか。クルム伊達がミスするたびに観客席からため息を浴びせられ、ついに切れた2日前を思う。

9月25日(水)

夕方の5時40分。西の空が、そして部屋から見える限りの東の方向も、赤紫色に染まった。建物の輪郭が切り絵のように浮かんでいるだけで空間という空間がすべて赤紫色。下を流れる川の面もとろんと赤紫色なのだ。

9月24日(火)

月に一度、家で勉強会をすることで少し丁寧に片付ける。これで?と言われそうな程度ではあるけれど、テーブルの上に何もないだけで私にしては上出来。ストレートの紅茶はロイヤル・コペンハーゲンの食器を使って。

9月23日(月)

昨日みた、やなぎみわ監督『ララバイ』。13分11秒の映像作品が強い存在感で記憶にとどまる。優しい子守唄と激しい取っ組み合いが祖母と孫娘の間で繰り返され、人形の部屋のような空間が都会の夜景へと放出される。

9月22日(日) 

夕方。青い空に薄いピンクの雲がいく筋も流れている。こんな景色を見るのも久しぶりの、猛暑のあとの秋の到来だ。さっき銀座をちょっと歩いたら、行き交う人の離す言葉のほとんどが日本語ではない。ふしぎな感覚。

9月21日(土)

お豆腐が値上がりするという。でも仕方がない。大豆が値上がりしているし、この10年間据え置いてきたときくと、むしろ手造りしてくれることが申し訳ない。ただ買う身としては贅沢品にならないでほしいと願うのみ。

9月20日(金)

ディエチコルソコモのバッグを何年使っているのだろう。ミラノの本店から買ってきてもらった一つの黒いトートを真夏も真冬も持ち、裏地と同じように並んだ例の小さな二重丸模様は表地では擦れて見えない。大好き。

9月19日(木) 

宇宙を目で確かめられる幸せが満月でピークに達する。しかも今夜の月は極めつきの豪華さを漲らせていた。かーんと張りつめているような色合いと姿で、完璧とはこういうこと。小さな惑星の住民は胸をときめかす。    

9月18日(水)

そういう日ってある?理由はさまざま事情もいろいろで、一時的に、というのも含めると今日だけで8人から「別れ」を告げられた。人と触れ合うって、そういうこと。ときどきひどく気弱になる。そういう日ってある。

9月17日(火) 

日本列島の端から端まで「過去に経験したことのない脅威」にふるえた台風、竜巻、京都の桂川など思わぬ河川の氾濫・・・それが去った後の夕焼け空の息を呑む美しさ。自然の激しさに、どう心が向き合っていくか。

9月16日(月) 

102歳で毎日俳句を詠んでいる金原まさ子さんが徹子の部屋に登場。好きなのが栗原類、森茉莉、戦メリ、読書だそうで、わあ、同じだと思う。テレビではあるが初めてご本人をみた。とびきり美しく賢こい人だった。

9月15日(日)

台風が近づいて朝のうちに幾度か強い雨が降り、一日、足止めされてしまう。午後はずっと晴れていたのにTVと新聞の天気予報に踊らされた。井上ひさしの作品をかなり読み直せたので、よしとしようか。『國語元年』とか。

9月14日(土)

数十年ぶりの再会。幼いMを保育園から引き取り我が家で私の遅い帰りを待っていてくれた日々、二人の女子大生への信頼はゆるぎなく、今も瞬時に戻ってきた。「ぼうしにラクダ、描いて」と言ったというMの声とともに。

9月13日(金)

メルマガはいくつも届く。歌舞伎のような舞台関係、美術展、書籍関係は古本サイトも。なかで楽しみなのはTokyoZooNet。今日のは魚の餌のやり方が面白かったし、愛するハシビロコウの部屋の改築のニュースも。

9月12日(木)

誰かの住所を調べるのに年賀状の束を一枚一枚見ていくなんて、アナログもいいところ。でも新年に見るのとは違った気持ちで便りを読み直す。春先のふきのとうなど、美味しいものを書き並べてくれた佐久の知乃さん。

9月11日(水) 

笠井さんプロデュースの講演会に行きたかったけれど、週の中日は朝5時起きで断念。10月からは夜のイベントにもまた出られるかも知れない。ただ、長年縁がなかった夕方から家にいることの安らかさも捨てがたく。

9月10日(火)

左足の爪が自分で切れなくて、美容院でケアしてもらうことにした。ジェルネイルでもたせることも覚え、夏の間はターコイズブルー、秋めいてきたので濃いめのサーモンピンクにする。足先全体が滑らかで気持ちいい。

9月9日(月) 

9・11は2001年のこと。そんなに経つ。その後に作られた映画としては『ものすごくうるさくて、ありえないほど近い』が何回みてもいい。TVでの吹き替えはほとんどみないが、これは別。武田華という声優。

9月8日(日)

早朝に東京オリンピックの開催決定。世界からの心配を払拭するために脱原発を一気に推進し、政府が全身全霊を傾けて汚染水の処理にあたるなんてことにつながるといいのだけれど。野鳥の森をカヌー場にしないでね。

9月7日(土)

ラザフォード・オールコック初代駐日英国公使が幕末に行った富士登山の足取りを追う番組「世界ふしぎ発見」が面白かった。今は閉じられているが、ときに苔むす、ときに花咲く、ときに大木の並ぶ村山道の美しいこと!

9月6日(金)

疲れたとき手に取る本として最高の植草さん(親しかったわけではないけれど)のコラージュ日記。あの膨大なアメリカ情報なのに初の海外旅行が74年、66歳のときというのが胸を打つ。私がちょっと真似したい人。

9月5日(木)

銀座からイエナがなくなったのは大事件だった。片岡義男さんがイエナの一階の入り口で真っ白のスーツを着た植草甚一さんを見かけたことを書いているのは60年代のこと。そこに代わる場所はあるかしら。探そうか?

9月4日(水)

やっぱり、前世は座布団だったと思う。電車の中でひとり置きに席が空いているとき、次に乗ってきた人は絶対に私の隣に座る。ほかに席がないならともかく、すぐに私は両側から挟まれる。縮緬の座布団でいようかな。

9月3日(火)

手や身体で覚えているものが、ふと懐かしく蘇ってくることがある。毬つき。あのゴムが弾む感覚。吉祥寺の家の六畳の前の縁側から降りられる広い三和土がいちばんいい場所だった。玄関から門につづく八つの飛び石も。

9月2日(月) 

誘われても結局しなかったのはゴルフ。狭い日本で子どもが入れない広大なスペースを取るのと女性キャディーを頼むのが躊躇われたのが理由。スポーツって人の手をたくさん借りるのだ。場所を作るだけのためにも。

9月1日(日)

「わたしは知らない」という小さな言葉は翼を持っていて、わたしたちの生を、拡張し、わたしたち自身の内なる空間の大きさにまで広げてくれるだけでなく・・・外の空間にまで広げてくれるのです。(シンボルスカ/沼野充義訳)