98字日記ー2014年1月・2月

の日記は文章を書く鍛錬として書きはじめました。

「98字」は自分への課題のひとつです。

バイオリニストが演奏前に調弦するA(アー)の音のように、

正確に、短く、つづく音楽が気持ちよく響くことを願って

2月28日(金)

夜に「すしざんまい」に行くとカウンターで握らせている外国人の多いこと。呼び込みの店員さんも英語が滅法うまい。居酒屋がもてているし、天婦羅、お蕎麦、鍋もの、何にもまして大根おろし。日本の食べ物は最高。

2月27日(木)

ステージにすたすたと現れ、ピアノに向かい、すぐに透徹した音と空気で辺りを充たすのは高橋悠治。知る限りでは他にはジャン・マルク・ルイサダ。悠治さんのピアノ・リサイタルはとくに全体の構成が魅力的だった。

2月26日(水)

オリンピックでの金メダルはすごい。でも井上ひさしの未完作『一分ノ一』を思い出す。ニッポンの理想像だ。五輪でメダルは取れないが、いつも静かに考えていて、世界が危機に陥ったとき頼りにする公正無私の国だ。

2月25日(火)

日曜日に観たドキュメンタリー映画『ドストエフスキーと愛に生きる』でドイツ語で露文学を紹介している84歳の翻訳家ガイヤーさんは、言葉を決めるのに音で聞く大切さを力説していた。実感する。私は必ず音読する。

2月24日(月)

ソチ五輪が終わった。閉会式はロシアの文化面を華やかに演出し、感動の17日間が過ぎてよかった。すぐ隣りのウクライナで反政府デモが激化し百人近くの死傷者が出ていたのに。あの美しい都市キエフは忘れられない。

2月23日(日)

東京でも奥多摩などで未だに大雪に埋もれたまま孤立している数軒があるという。住んでいる地域での雪かきが話題になることも多い。林のり子さんは早速Pate屋のブログに書いたからと知らせてくれた。http://pateya.exblog.jp/

2月22日(土)

すこし疲れているのか体調が思わしくないのか、大事をとって家に一日中いると、いっそう身体が重くなる。出かけてしまえばよかったと考えついた時はもう夕方近く、こういう非能率的な日はあるのだろうか、誰にも。

2月21日(金)

時間がないときほど合間に家で映画をみてしまう。久しぶりの『リトル・ダンサー』(最後3秒、鳥肌になるアダム・クーパーの舞台シーン)、『黄昏』(フォンダとKヘップバーンの渋い演技)。映画館にも行きたい。

2月20日(木)

ソチ・ジャンプ団体で銅メダルを受け取るとき、葛西紀明選手は「スパシーバ」と言ったのが口の形でわかった。声は聞こえなかったけれどほかの誰にも見なかった心くばりが光っていた。記録や順位だけに一喜一憂せず。

2月19日(水)

東京でも大雪のため家に篭城するはめになった人たちがいる。物流も滞っているとか。それにしても5日や6日、手に入らなくても十分なくらい食料の備蓄がない家があるのが不思議。これまで苦労したことがないのか。

2月18日(火)

整理することが苦手。何かを手にとって、また置くべきでない場所に置く。たとえば1枚の展覧会の半券――象に本を読んできかせる少年の写真(グレゴリー・コルベール)。でももう、いいか。今はネットでも見られる。

2月17日(月)

朝日歌壇常連の松田梨子・わこ姉妹の素直な感性はいいなあ、といつも楽しみにしていて、もう何年になるのか。わこちゃんも中学生になるらしい。「新しいセーラー服を着た私家中の鏡に見せに行く」丸眼鏡のふたり。

2月16日(日)

「自由に描く!っていうより、これをマネしてごらん、って方がなぜか自由・・・」は清水ミチコさんのブログでの名言。子どもたちがムンクや写楽やピカソの作品をまねた絵の素敵なこと!駅に展示されていたそうだ。

2月15日(土)

未明にブラインドを少しあげて外を見ると、一瞬、朝かと思う明るさで、一面の雪の白さに目が覚め、そのキラキラと漲る光で本当に本を読んでみようかと思ったけれどやめて、綺麗になった気分でまたぐっすりと眠る。

2月14日(金)

冬のオリンピックでまったく理解できないのがスケルトン。子どもが好きな滑り台を難しくしたものかしら。競技場を作るのも大変そう。そういえばモーグルのこぶはどうやって作るのか。日本列島は今日もまた大雪の中。

2月13日(木)

バスの中で素敵な瞬間をみた。赤ちゃんを連れた若いお母さん同士が、ふと顔を見合わせてそれはそれは美しく微笑みあったのだ。その後は素知らぬ様子だったから知り合いではない。かたやインド人、かたや日本人。

2月12日(水)

都知事選はいつも落胆で終わるが、『文学界』で石原元知事の作家としてのインタビューを読むと、もっと文化面で腕を振るえばましだったのにと思う。ただ副知事といい今度の選挙で推した変な人といい人選がひどい。

2月11日(火)

ゆうべTVでサラ・ケイのパフォーマンス・ポエトリーを見た/聞いた。スポークンワードとも呼ばれる一種の詩の朗読で、声も表情も身振りもすばらしかった。自作の「B」と「ヒロシマ」のふたつ。字幕の訳もGOOD

2月10日(月)

ソチ五輪のスローガンは「HOT COOL YOURS」。訳は「ホットでクール、みんなの大会」らしい・・・外国人が英語で何かを表し、それを日本語にする時カタカナに。つまらない。「熱くきめよう、この一瞬」とか。

2月9日(日)

ところでソチ五輪開会式のロシア史をたどる部分がよくできていた。あのお伽噺に出てくるようなタマネギ頭の建物、チャイコフスキーやトルストイのロシア。キエフの景色を思い出す。憧れのモスクワ発パリ行きの列車。

2月8日(土)

細かな雪が風に吹かれて舞いながらぐんぐん積もっていくのを家の中から見ながら、ソチ五輪の開会式をTVで愉しむ。日本選手のユニフォームがデザイン的にひどいと2年ごとに思う。今回はとくに最低。なぜ、なぜ?

2月7日(金)

冬に一度は指先にひびがはいる。テープなど幾つかためした後、氣に入っているのは「ハケで塗るばんそうこうーサカムケア」。昔懐かしいセメダインと似て透明の膜をはる。そのあとスティームクリームかニベアで完璧。

2月6日(木)

どこかの店に食べに行くエッセイでは平松洋子がいい。知られない処の紹介というよりも、むしろ王道に新しい魅力を見つけ出す感覚がいい。入れ込みの座敷の様子など、この人の手にかかると今すぐでも行きたくなる。

2月5日(水)

佐村河内守作曲「交響曲第一番 HIROSHIMA」は別人の作品だった。そのCD 、私も買って聴いたけれど感動せず、どこかにいってしまった。誰が、どんな名前で作ってもいい。音がよければ。背景で聴くのがおかしい。

2月4日(火)

「たった一言で都政を動かせる」大統領並みの権限をもつ都知事の仕事を朝日新聞がまとめている。スウェーデンの国家予算に匹敵する予算をもち、号令で即座に実行チームが組まれる。清廉な政治をする人よ、出でよ。

2月3日(月)

一昨日。木場駅ホームで携帯が鳴り西葛西駅にいるという山田さんからで10分後に改札口で会い珈琲をのみバス停に向かい山田さんはバスに飛び乗り私のバスも来たという絶好調の連続。頂いたのは大好きな蕪のお漬物。

2月2日(日)

隅田川に跳ね返る光が心なしか柔らかい。春かなあ。配管掃除、ガス定期点検、消化設備確認と生活には時間をとられることが多く、ぼんやりの時間が貴重だ。でも北はまだまだ豪雪で、天氣図に雪だるまが並んでいる。

2月1日(土)

「てふてふと書くとあの、ひらひらと翅を動かして、かろやかに舞い飛ぶ蝶の感じが出るが、ちょうちょうでは地べたをのろのろ匍っている虫のようで• • •」(森茉莉『ほんものの贅沢——日本語とフランス語』から)

1月31日(金)

また本を整理する時期。家と仕事場と貸しロッカーとにある膨大な本をなんとかしようと、一時、クラスの人に貰ってくださいと運び始めたものの重いだけで押し付けがましく、やめた。母の誕生日で花をたくさん飾る。

1月30日(木)

世界一踊る国というキャッチに惹かれてTVをみると、それはセネガルで、ストリートダンスがすごい。ちょうど課題がアルゼンチンのタンゴにまつわるもので面白かった。もっとも課題の方は話がフロイトに移ったが。

1月29日(水)

政府予算案で文化庁予算は前年比わずか0.2%増。そりゃあ五輪はあるしスポーツに取られるのは仕方ないにしてもね、さびしい。大体、全体予算の0.1%という元が低過ぎる。フランスも韓国も1%だそうですから。

1月28日(火)

室温24度、湿度60パーセントの中にこもる一日。午後に来た人は外は風が冷たいという。暗くなった時間にその人から玄関横の段ボールの束を帰りがけに捨ててあげようと思いながら忘れたと電話。その言葉も温か。

1月27日(月)

村上春樹『小沢征爾さんと、音楽について話をする』を読み始める。笠井久子さんの推薦。どきどきする新しさで、管楽器について無知だから「ホルンの息継ぎ」なんて、もうびっくり。書き下ろしであるのもうれしい。

1月26日(日)

ベルリンフィルのジルヴェスターコンサート。サイモン・ラトル。ランラン。プロコフィエフのピアノ協奏曲。あの最高だった演奏が今夜また放映される。2時か3時か。起きていることにしよう。もちろん前もTVでだった。

1月25日(土)

朝、起きて一番の楽しみは何を食べるかということ。トマトとカッテージチーズで始めるのが多い。一日中、次の食事を何にするか考えている。冬は相変わらずキャベツを固まりのままソーセージと煮込むスープが好き。

1月24日(金)

隅田公園の梅が咲きはじめたそうだ。手作りの金柑のジャムが届き、とろろ昆布が送られてきた。添えられた手紙やカードが何より嬉しい。すべてにスローテンポになっている自分に感じていた重さがほどけて息をつく。

1月23日(木)

昔は誰も彼もたばこを吸っていた。オードリー・ヘップバーンが出ている映画の中でも本当に盛大にたばこを吸っている。自分が吸わなくても煙は否応なく身体中にまとわりついていた。おかしなことだった、今おもえば。

1月22日(水)

夜に出かけることを控えたら、音楽会に行きたい病にかかったよう。でも堅い椅子に3時間も座っていたいと思えないのも事実。1時間だとものたりない。1時間半の音楽会がいいかな。オケを一曲、でちょうどいい。

1月21日(火)

イタリア製の厚手コットンの大きなタオルは紫や黄や緑の色が柔らか。ふたつに折って膝にかけると、布だけ張り替えて40年近く使っている肘掛け椅子と床暖房とにくるまれて・・・・眠くなり本のページが進まない。

1月20日(月)

ほとんど午後中、ニシコリケイとナダルの試合を横目で見ながら、するべきことをしていた。3ー0でナダルが勝ったのだけれどニシコリも凄かった。どうしてナダルは飲み物をそーっと脚の間の地面に並べるのだろう。

1月19日(日)

心に残っている授業は少し。ひとつは中学で等高線をたどって紙を切り、山の立体模型をつくったこと。またやりたい。ひとつは高校で交響曲の楽譜をよんだこと。レコードを聴きながら担当した楽器のパートを追う。

1月18日(土)

太い脚がいっそう太くなってバンバン膨らんでいる。ワインを飲んだら、また膨らんだ。みんな寝静まった頃、きっと風船のようになって、ふわりと空に浮かぶことができるのだ。今夜の月も照りきらめいていたし。

1月17日(金)

シュレッダーが近所の方に貰われていった。もうマルヒの書類に埋もれる仕事をすることもないと思う。こうして少しずつ片付けられるだろうか。散らかし方が「爆発的」と言われた汚名を返上しなくては、とがんばる。

1月16日(木)

日本列島は詩人で満ちている。東洋大学の現代学生百人一首には5万首以上が寄せられたそうで、私が好きだった1首は「四分休符下から上へ書いてゆく空へ飛びたつ翼のようだ」(宮城県 根來怜菜さん 中3)。

1月15日(水)

アーサー・ビナード Rain won't stop me. ロジャー・パルバース Strong in the rain. どちらかがいいわけではない。表現する日本語が英語にかえられ、そのまた逆も。そこにひとつの世界が生まれる。これは「雨ニモマケズ」。

1月14日(火)

ASAが地域の販売店スタッフを顔写真入りで紹介するチラシを配った。自宅に配達してくれる人が分かるのはいい。出身地と趣味も。我が家の辺りは中国とベトナムの留学生たちが中心で、その全員が趣味は勉強!!

1月13日(月)

夕方5時だというのに薄暗いのに驚く。川面も暗く、明日は市がたつので築地の埠頭だけがぼんやりと光っている。朝起きたときも6時近いというのに、まだ真っ暗で驚いたのだった。長い昼間が待ち遠しく、懐かしい。

1月12日(日)

午前中から「きずな」の運営会議、合同新年会とつづき、家に帰ると椅子にかけたままぐっすり眠っていた。いつも時間が足りなくて居眠りすることはあまりないけれど、昼に寝るのって素敵。でも起きた時からっぽ。

1月11日(土)

ソーシャルネットワークで「いいね」を集めてプラス評価とするのは浅はか以外のなにものでもない。どこかの国で打ち込む人手を雇った話もある。私は決して使わない。好きなのはクレイジーケンバンドのときだけ。

1月10日(金)

昔から、よく人から話しかけられる。電車の中で、ホームで、店の前の行列で。でも自分が感じがいいとか話しかけやすい人間でないのは知っている。声をかけられて応えるけれど、自分から話は続けない。今日もまた。

1月9日(木)

鮭の切り身と玉葱としめじを蒸しやきにして大根おろしをたっぷりかける。菠薐草、卵、しらす干し、ゴマの炒飯。スープ。知乃さんのナズナのおひたし、千本ネギのおかか和えの春の香りに憧れと羨望を覚えながら。

1月8日(水)

本田圭佑のACミランへの移籍は大きなニュースだそうで、入団会見が日伊両方で中継された。背番号も含めて小学生のときからの夢がかなったというのがいい。伊語の10は私の好きな響きの言葉のひとつで、ディエチ

1月7日(火)

文章の中に「赤いきつねと緑のたぬき」とあったとき、海外の日本文翻訳者は多分、戸惑う。今は検索ですぐに調べられるけれど、東洋水産が地域によって変えている出汁の味まではね。英語にもきっとよくあることだ。

1月6日(月)

「かまわぬ」は鎌輪奴で、鎌の絵と輪っかの絵とひらがなの「ぬ」。親戚への新年の挨拶に店で選んだ20本ほどの手ぬぐいは気に入られたかな。元禄に町奴のあいだで着物の文様として流行った絵文字でもあったそうな。

1月5日(日)

年賀状によく見る言葉――「今年はお会いしたいですね」。でも会えないまま日々が過ぎていく。パーティーやクラス会などで顔を見るのは「会う」ことにならないと考えるから、会いたい人に会えないで時が経っていく。

1月4日(土)

辻井伸行・東南アジア演奏旅行のTV番組でタイやベトナムの人たちの目から溢れる涙が美しかった。ベトナム音楽院では学生たちによる辻井作曲「それでも生きてゆく」の伝統楽器演奏に彼自身もピアノで入るサプライズ。

1月3日(金)

箱が重なったマンションやビル群の中で生活しているため、元旦の吉祥寺や今日の奥沢のような住宅街にいくと、ほっとする。でも昔はブロック塀などなく、それぞれの家が垣根に囲まれていて、我が家はヒバだった。

1月2日(木)

受け取る年賀状は趣向を凝らしているのが楽しい。自分のはブルーで印刷したものに宛名や添え書きをのんびりと手書きする。でも150枚刷ったのに足りなくなり、ごめんなさい、届かなかった方、次の新年まで待って。

1月1日(水)

「太平洋戦争もとうとう終わるときがきました。金子光晴と夫人とむすこの三人は、蓄音機で、セント・ルイス・ブルースをかけて、狂喜のあまり踊りまわりました。村の人たちはびっくりしてしまいました。」(茨木のり子『個人のたたかい』から)