98字日記ー2020年7月

7月31日(金)
『チャーリーとチョコレート工場』をTVで好きなシーンだけ見る。チャーリーの両親それぞれの両親が四人で向かいあって寝ているところ。ウィリー・ウォンカが歯科医の父親を訪ね、小臼歯から息子だと分かるところ。

7月30日(木)
朝9時半頃、スマホがけたたましく鳴って緊急地震速報。でも揺れはまったくない。TVで確認していると画面に広がるのは郡山市でガスが爆発して骨組だけになった建物の残骸。木曜クラスは郵送方式に変更して蟄居。

7月29日(水)
家にいるよう考えて、つい買ってしまう冷凍食品。冷凍庫が一杯で反省しつつ、使いこなしていなかった冷凍野菜に開眼した。ブロッコリー、ほうれん草、素揚げ茄子など、屑を出さずに料理が作れて気に入っている。

7月28日(火)
1年前から申し込み用紙は貰っていた。苦しかったり痛かったりして死ぬのは避けたいと思い、二度の辛い経験がある帯状疱疹のワクチンを打つ。火曜日の夕方のクリニックは誰もいず、先生からコロナ禍の注意も聞く。

7月27日(月)
休日ダイヤでバスを待ち、みる映画が『ぶあいそうな手紙』になって、それがよかった! ブラジルに住む、目がよく見えない78歳のウルグアイ人が主人公。カエターノ・ヴェローゾ「ドレス一枚と愛ひとつ」が挿入歌。

7月26日(日)
曇天に稲妻が走り、とつぜん強い雨が降ったりして、家にいた。都民は自粛を求められているし。でも十分予防をして、人が密にならないよう配慮している所も多い。交通手段を選び、機を逸しないようにしたい。

7月25日(土)
激しい雨の中、歩かなくてすむ銀座のメゾンエルメスへ。サンドラ・シントの「コズミック・ガーデン」は青や藍に白い点や線の幻想が沈んでいた。離れては鉱物的な夢、近くで目を凝らすと繊細な細部が植物のいのち。

7月24日(金)
2日続けて外出した後は家にいて、読み直したい短編集のページを繰る。『源氏物語』の「浮舟」も校注を頼りに読んでいるけれど、なかなか進まない。数行読んでは思いに耽ける ・・・恵まれた状況にある証し。

7月23日(木・祝)
コロナ騒ぎがなければ明日が東京オリンピック開会式だった。それで今日から4連休とか。でも私は新宿で2クラスあった。とても嬉しい。誰にも会わなくても寂しいとは思わなかったはずなのに人恋しいのは何故?

7月22日(水)
Mから今夜の遅い夕食用に自分達のお弁当を買うけれど、どう?と聞かれ、鈴波弁当を受け取る。銀鱈の味醂粕漬が美味しく、ご飯が冷めているのに艶やかで味がいいのに感心した。こういう食事もわるくない。

7月21日(火)
MacBook Air が届いた。きのう丸の内の apple で大きいサイズも見たうえで、これからの生き方を考えて 13インチ にした。オンラインで注文してくれたMに設定も全部してもらう。これから使い方を学ばなくては。

7月20日(月)
土曜紙面「街のB級言葉図鑑」に載った写真がいいーーお上のお達しにより当分の間臨時休業致します。「お」は皮肉な意味も表すと飯間浩明さんが読み解く。男子寮で女性からの電話が「お電話」と取り次がれた、昔。

7月19日(日)
Mのバースデイランチを在京中の今日にしたのに朝、レストランから電話で感染者が店から出たので2日間休むとのこと。身近に! 東京会館なら、とMの提案でロゼとカレーライスにしてお濠の緑を見ながらゆっくり。

7月18日(土)
バラードがひとつ、心を離れず口にのぼる。その題を忘れたので、別の童謡を。「鳥は鳥ゆえ おとなしく 林の奥の巣に眠り/月は月ゆえ さびしくも はるばる空をひとり旅/僕は兄ゆえ たのまれて 遠い夜道を薬とり/(西条八十)

7月17日(金)
メールがロックされてしまい、西葛西の docomo に開店と同時に入る。新たな暗証番号を決めてすべて再調整してもらい、ついでに料金をこれまでより安く設定する。もっと年取ると理解できなくなるかも知れない。

7月16日(木)
ディネーセンの作品の映画化『愛と哀しみの果て』をTVで。M・ストリープ、R・レッドフォード。アフリカの草原を走るジープ。アメリカの砂漠で、どこまで行っても地平線しか見えず私たち二人だけの時もあった。

7月15日(水)
朝、緑を抜けて信号機の前でマスクをしたら、新しいのに、ぱちっと紐が切れた。予備、と探してもない。いつも邪魔に思うほどあるのに。1本しかないバスに乗る前に郵便局へ行き、隣の7-11で見つける。よかった!

7月14日(火)
翻訳塾の課題にジュリアン・フェローズの Belgravia を使っている。現代の売れっ子筆者による19世紀を舞台とした人間模様。訳文に直しがあまりに多く、小説の翻訳がいかに難しいか実感する。楽しいはずが・・・

7月13日(月)
美容院もカットとシャンプーだけになって、気持ちよくまかせていると、あっという間に終わる。自粛の空気がまだ行き渡り、私が動く時間帯の交通機関は利用者が少なく、すいすい動ける。あっという間が多い最近。

7月12日(日)
時間や日数の流れは速くなったり遅くなったり、自分で調整できるものではない。7日未明に長いメールが届いていることに気付いて以来6日間、思いもかけない展開に心をぎゅっと握られていた。人生にはいろいろある。

7月11日(土)
人への思慕に具体性がなくとも、その人にまつわる数々の事実に支えられて少しずつ姿を現してくるものがある。必ずしも好意的な事実である必要もない。だってあなたにはジャガーもダッフルコートも似合わないから。

7月10日(金)
エンニオ・モリコーネ、6日逝去。ゆりかさんに教えられて「ガブリエルのオーボエ」をモリコーネの指揮で聴き、チェロで聴き、素敵なオーボエで聴き・・・肋骨が揺れ、涙が滲む。映画『The Mission』から。

7月9日(木)
新宿Aクラスでは全員がマスクの上にフェイスガードもして、防空壕近代版といった雰囲気。コロナだけでなく熱中症の心配もあるので無理せずに、とお願いする。昨日の東京都内感染者は224人と1日の数として過去最多。

7月8日(水)
低調。要するにスカッとした考えや思いが浮かばないし、爽やかに話せないし、同じ所にとどまっていて方向が定まらない。辛口のシェリーを音が出るほど冷たくしてのみたい。シェリーグラスは2個なくてはだめ。

7月7日(火)
銀座のギャラリー和田「金丸悠児個展」で久しぶりに金丸夫人、平野夫妻と会い、作家ご本人と共に作品を楽しむ。紙面の歌壇・俳壇では平面的だが、原作は洗練された色、質感、非日常的な場面感が心地いい。

7月6日(月)
九州に豪雨。熊本や鹿児島で堤防が決壊し、今日は福岡、佐賀、長崎が厳戒態勢に入っている。梅雨は言葉でだけ残り、しとしと雨はどこへ、東京でも時に篠突く雨がガラス窓を叩く。ベランダのオリーブ、がんばれ。

7月5日(日)
午後から雨の予報もあり朝7時過ぎ、エンピツを持って清新一小に都知事選投票に。学年ごとの花壇に花が群れ咲き、100はあろうかと思う鉢にはそれぞれ元気な朝顔が青や赤の大きな花を笑顔のように開いていた。

7月4日(土)
土曜クラスの人たちが皆、お元気そうな様子を透明板の向こうに見る。マスクにくぐもった声は透明板越しで余計聞きにくく、イヤホーンを用意しなくてはならないようだ。でもオンライン授業には切り替えたくない。

7月3日(金)
久しぶりのジェームズ・スチュアート。1863年を舞台とする映画『シェナンドー河』。もう南北戦争の撃ち合いは見たくないのに最後は涙してしまう。服装が一番好きな時代で、ふわっと丈の長いスカートに憧れる。

7月2日(木)
石川県立美術館の優品展に今、『ギター」が展示されているという。父・飛鳥哲雄29歳のときの制作で、なぜだったか私の部屋にずっとあった。全作品を県美に寄贈する際、これも加えた。懐かしくて、見に行きたい。

7月1日(水)
「リリーよ、そなたを思っていなければ/わたしはこの眺望にどんなに歓喜して見入ったことでしょう。/けれどリリーよ、そなたを思っていなければ/わたしが幸福に思う景色などあったでしょうか。」(J. ゲーテ『山上から』手塚富雄訳)