98字日記ー2014年10月

10月31日(金)
時間がなくて翻訳はできないけれど、と言って念入りに作った物を送られると、すこし寂しい。例えば課題のすべてでなくても、その都度、一行だけ日本語にしてもいいのに、と思い、ひととの優しいつながり方を想う。

10月30日(木)
新宿駅で都営新宿線から大江戸線に乗り換えるエレベーターの位置を覚え、この間のMとの待ち合わせで、そのまま乗っていればルミネ入り口への改札に出ることも分かった。今日はひとりでいつものカフェに行き、完璧!

10月29日(水)
高層ビルの合間、高く蒼い夕闇に細い月がとどまっている。白い月。なにか胸の中が鬱々としていて、押しつぶされそうになる。拳の指の節を山、谷と数えていって、10月は31日あると確かめ、その1日にほっとする。

10月28日(火)
1952年にポリオワクチンを開発した米医学者ジョナス・ソークの生誕百周年で、Google のロゴでは博士が子供たちに囲まれている。「ワクチンに特許はない。太陽に特許はないように」と個人的な利益を求めなかった。

10月27日(月)
日本のハロウィーンが一番楽しい、とわざわざイタリアから来る若者たちがいるとか。仮装ではベネチアに勝るはずはないけれど、伝統などなく好きなコスプレが思いっきりできる弾け加減がいいのかも。不思議ニッポン。

10月26日(日)
アニメのことをよく知らないので技術については判断力を持たいのだけれど、『言の葉の庭』の画面の美しさは心にしみとおる。全体の半分以上ある雨のシーンはとくに。新海誠監督2013年作の孤悲(恋)物語。 

10月25日(土)
日本への難民申請は昨年、3260人あった。認められたのはわずか6人。就労目的のためという人たちが増えたり難民の定義にさまざま問題があるにしても、日本がいかに外に対して開かれていないか実感する数字だ。

10月24日(金)
書評をよく読む。新聞でも雑誌でも書評はたいてい短いので迷わず読みはじめる。川上弘美の、その都度、まったく違った書き方、視点、感じ方が好きで、その書評を通じて読み直したくなる本も沢山ある。須賀敦子とか。

10月23日(木)
来年の手帳が届き、カレンダーが届き、買わない御節料理のカタログが送られ、私には使えないけれど読み物として楽しい家計簿も。11月から12月はジャンプして一気に跳びこすようにあるらしい。ならば・・・

10月22日(水)

食欲はないけれどお腹は空いてくる。食べられるものを考えた。好きなネタの握り寿司を少し。それから西瓜。それからアイスクリーム=ハーゲンダッツのマカデミアナッツ。ミニより量の少ないのがあったら毎日ほしい。

10月21日(火)

「科捜研の女」を飽きず見られるのは、シナリオの良さはあるにしても、沢口靖子が本気だからだと思う。どれだけ続いているドラマなのか知らないけれど、しみじみ「よか」女優だ。そういえば十朱幸代ってどうしている?

10月20日(月)

くよくよしても始まらない。なるようになる。と考えて生きてきて、実はもっと考えるほうがよかったのかなあと反省することもある。その場の思いつきで動いて、でもそれしか決心のしようがないのだから仕方がない。

10月19日(日)

専門知識と経験をもつ賢明で献身的な人が多くいるお陰で、住居の長期修繕や電波関係が臨時支出など一切なく完璧に進められていく。今度はすべての給水管を新たにする改修工事。真っ白な外壁にはじない内側になる。

10月18日(土)

翻訳塾では、いつも元気だ。後のお茶の時も、そこにいる人達の言葉、表情に喜びをもらい、ひとつでも多くの翻訳の術を伝え、いっしょに考える時間をもちたいと思う。そろそろやめようかと思うこともある講座だが。

10月17日(金)

すべてに霞のかかったような一日。荷物が届く時間だけを意識して起きているが、あとはふと眠ったり、小説の続きを読んだり、花の水を替えたり、白湯を飲んだり。知り合いのサイトを訪ねれば、皆いきいきしている。

10月16日(木)

仕事場で前のように隅田川に机が面していないので、ベランダから見るゴージャスな夕景は久しぶり。東京タワーは青い光をまといトップだけがオレンジ色で大きな蝋燭となっている。その下をバラ色の屋形船が通る。

10月15日(水)

エレベーターに乗り合わせた20代の若い女性が「素敵なお召し物ですね」と言ってくれる。その人こそ灰色基調の服に濃ピンクのポシェットの斜めがけが素敵。私は「ありがとうございます」としか言えない。雨の日。

10月14日(火)

急に手術日が決まったり、菅原都々子さんの米寿を祝う集いに出たり、猛烈な咳の発作に襲われたり、穏やかならざる日の最後はクリスチアノでのポルトガル料理を四人で、という台風の後の空のように締めくくられた。

10月13日(月祝)

先週に続いて台風が上陸しTVではほとんど24時間、その情報を伝えているものの、実は同じことの繰り返し。気になる東京の予報については関東甲信越地方という括りでしかわからない。知らせることの難しさを思う。

10月12日(日)

ペーパーバックの The Goldfinch は870ページある。このままでは持って外出するのもベッドの中で読むのも大変。でも読み甲斐がある。わくわくする。意を決して章ごとにばらす。糊がきつくて大仕事。まだ半分。

10月11日(土)

どこの病院でも診断はすべてその場でコンピュータに記録されていく。患者の顔よりも画面をみている方が長い、と揶揄されることも多い。画面上のグラフなどを示されても、見慣れていないシニアはどうするのかしら。

10月10日(金)

青梗菜とブナしめじを炒めると食欲のない身体にもやさしい刺激となって、食後の薬を飲むための食事ではなくなる。それに山梨の種々の葡萄。それぞれ緑、紫、黒のピカッと張りつめた粒々が無限の秋を運んでくれる。

10月9日(木)

消費税が8パーセントになって物の値段がとてもいい加減になっている。消費者は正しく計算などできないから要求されるままを支払い、10パーセントくらい値上がりしているなあと思いつつ、つましい節約などして。

10月8日(水)

横浜での課題はトバイアス・ウルフの短編で父親が息子にセロニアス・モンクを見せたいとバーに連れていく1節がある。村上春樹が『セロニアス・モンクのいた風景』という本を出した。なぜか何かが重なる村上春樹。

10月7日(火)

台風18号が駆け抜けた昨日の今日、爽やかな秋空が広がるとなるとなぜか体調を崩す。クリニックから盛大に薬をもらってきて、飲んではひたすら眠る。病気というものを知らなかった人生前半が懐かしい。また眠い。

10月6日(月)

グルジア政府は日本での国名呼称をジョージアにするよう要望し日本政府は認めるらしい。英語や他の外国語でもそう呼ばれていることが多いので、いいと思う。これからはジョージア語を勉強していますって言うわけ。

10月5日(日)

バーニー・フュークスを、よく知らなかった。断片的な印象だけで、ロックウェルを見るたびに、この人じゃない、もう一人の・・・と思うばかり。ジャズを歌う女の子の絵を見ながら、深く知らずにいたことを後悔した。

10月4日(土)

視聴者からの要望で来週から「ぐでたま」の出現が朝1時間早まるらしい。クラシック倶楽部の後半だけれど、ちょうどいいかも。心旅を途中で切り上げなくてすむ。もっとも私は見たいというよりぐでたまでいたい・・・

10月3日(金)

何かについてトコトン知っている人を尊敬する。縦横、高低、裏まで全部知っている人。たとえば香川照之が具志堅用高について本人より詳しいというのが素敵。そういうおたく的なのは男性の方が多い気がして残念。

10月2日(木)

小さな切り抜きから――津波のがれきで覆われた宮城県南三陸町で、2時間後には地元工務店の大山正昭さんは重機で道を作り始め、一睡もせず、翌日もかけて一人で3キロの道をつくった。翌日、支援物資のパンが届いた。

10月1日(水)

光よ流れよ/とどめえないかなしみよ/日曜日に顔を洗い/日曜日に日曜日の傘をひろげよう/もしわたしの躰に窓があるなら/身をのりだしてーー路上に飛び出て傘をさそう(山本道子「日曜日の傘をさそう」から)