98字日記ー2015年12月

12月31日(木)

福岡ではホテル・オークラに泊まった。私に使えるバスタブがあることが必須だったうえに調度品や寝具やタオル類の心地よさが抜群だった。でも大晦日のこの平凡な穏やかさもなんていいのだろう。ひとり静かにいて。

12月30日(水)

天神の地下街ショッピングモールは、なぜあんなに暗くしているのだろうと独特の雰囲気を思い起こしながら、年賀状を書き始めた。埼玉はなぜ「さいたま」なのか、南アルプス市という名前はかっこよ過ぎやしないか。

12月29日(火)

快晴の空を飛び、東京へ。朝、昼、晩と美味しいものづくめで、しばらく絶食するべきかも知れない。空港では身体に埋めたチタンが鳴り検査に時間をとられたが、歩みの重さを別とすれば旅心に火をつけられたようだ。

12月28日(月)

きのう福岡市博物館で見事な歴史的展開に触れ、初めて知ったのが鴻臚館の存在だった。古代の迎賓館で遣唐使の送迎などにも使われた。今日は福岡城跡内の鴻臚館跡へ。いま広大な土地で発掘調査が続けられている。

12月27日(日)

快晴の空を飛び、福岡へ。MとGの住まいを見ることが願いだったので、西新にある、海にほど近い明るい緑色の屋根のマンションを訪ねて心落ち着く。三人でトランプ2セット108枚で「神経衰弱」をして完遂した。

12月26日(土)

暦がないと思考がとまる。そのことを今年のはじめは忘れていて途方にくれたのを覚えていてくれた人たちが送ってくださり、豊かな気分。自分でも秋頃から緊張して買っておいた。どの部屋にもほしいのがカレンダー。

12月25日(金)

クリスマスに満月は38年ぶりだとか。でも見えなかった。空を見上げた時は曇っていたのか月が遠くに行ってしまったのか、藍色の空が拡がっているだけだった。でも満月はまた巡ってくる。地上のお祭りとは関係なく。

12月24日(木)

言葉を交わせたかどうかは別としても、私が今日、場をもって会って語りかけたり話を聞いたりした人は28人。しあわせなことだと思う。一人でいるのが好きであるのも、一方で心を開いて話せる人がいるからこそ。

12月23日(水・祝)

どうしても風邪が抜けなくて、明日はマイクを使わないと話せないなどとグチグチ考えていたのが、勝どきに行くのに冷たい空気に触れているうち、ふっと楽になった。やっと、大丈夫かも知れない。年末、遊べるか。

12月22日(火)

大きな角は伊達巻で眼はチーズ。トナカイを見事に描いた祭りずしは見るのも初めて。一見サツマアゲかと思うツクネ、ミニトマト。クリスマスらしいシュトレンとイチゴ。私はお茶を淹れただけ。我が家での勉強会で。

12月21日(月)

路上文学の今年の文学賞大賞をサイトで読む。川岸生男『ネコと一人の男と多摩川』。横浜に行く時、京急の進行方向右側に座ると県境の河川敷に小屋やブルーテントが幾つも見える。その一つに住む人かと実感した。

12月20日(日)

とにかく風邪に去ってもらいたい。昨日の横浜土曜クラスではひどかったと思う。喉と鼻に膜がかかり、皆の声も聞こえにくかった。このクラスだけ皆の声が小さいのは私のやり方が合わないようだ。質問もやめようか。

12月19日(土)

ジョージア文学を読みたいのに私のジョージア語では歯がたたない。はたと気がついたのが英訳を読むこと。探したら、あった!10冊ぐらいアマゾンでも買える。とりあえず注文した3冊の最初の本が今日、届けられた。

12月18日(金)

紙上で今年の「回顧」がされる時期。昨日の夕刊の舞踏では記者が笠井叡『今晩は荒れ模様』を取り上げていたが、私としてはこれが一番だった。天児牛大の山海塾新作より。演劇はまったくみていないのを痛感する。

12月17日(木)

途中で少し起きたものの10時間も寝て5時に目が覚めると、中村紘子がバッハのパルティータを弾き始めたところだった。後はショパン。2年前の演奏会で、なにか精彩がない。今年は演奏をキャンセルして闘病中。

12月16日(水)

どういうわけか、とつぜん風邪をひいた。今年最後の授業、会合と目白押しのなか。まずは一つずつ終わらせていかなくては。今日は横浜の水曜クラスを終え、家で7時までに荷物を受け取り、寝る。ワインは飲む?

12月15日(火)

ペンデルトンの大きなコットン・ブランケットをアルフレックスにかけていて夏の間はさわさわとタオル地を、冬にはモコモコと暖かい側を使う。ふと気がつくと、まだタオル地のままではないか。洗って寒さに備えよう。

12月14日(月)

なぎさ和楽園の高根さんは明快に問題を処理してくれた。JR東京総合病院は名前とIDでドクターと内容まで把握していて予約を入れてくれた。髙島屋は2時間半で年賀状を印刷してくれた。支えられて生きていかれる。

12月13日(日)

長い人生で今ほど体重があったことはない。そう気がつくと、恐ろしくて体重計に乗れなくなり、それでまた体重が増え、歩かないこともそれに拍車をかける。夜、アイスクリームを食べながらワインを飲んだりして。

12月12日(土)

11月末が締め切りなのに済ませていないことが幾つもあるというのは、どういう生活? いつだったか、言われたことがある。今までよく生きてこられたね。自分でも、そう思う。明日は少しがんばろうと考えて寝る。

12月11日(金)

大気の不安定とかで気温23度。ならば注射をしてもらいやすい半袖でもいいかと気がつき、さすがに上からカーディガンをはおってクリニックへ。延ばしのばしだったインフルエンザの予防注射で本日の大仕事終わり。

12月10日(木)

新宿で2クラスを終えた後には充実感がある。Bクラスが終わったあとには一人一人と話したい気持ちが溢れるが冬はとくに、もう外は暗く、家の暖かさも待ち遠しい。かくて今日はくつろぎ、寝る前に赤ワインを一杯。

12月9日(水)

久しぶりにクレープを焼いて、最初の数枚はうまくいったものの、途中から焦げ付き始めた。腕がなまったのか、やはり時々やっていないと調子が分からない。今日お相伴をしてくれた二人に感謝。次は美味しく作ろう。

12月8日(火)

ズンゴは自分の名前の Junzo をZungo と書いて、ヘレンという男の子は Are you Helen? と入学早々聞かれてyes と答えて、今もそう呼ばれている。そんな仲間の話を中学の同級生3人として楽しいひとときだった。

12月7日(月)

マイナンバーが先月、届いた。封筒の宛先が極度に小さくて、こういう事務処理を全国的にする体制に不信をもたないほうが変だ。勤め先には番号を知らせるそうでリスクばかり。大体、なぜ、こんな軽い英語の名称?

12月6日(日)

クリスマスイルミネーションで心に一番美しく残っているのは、ミラノで夜に帰ってきて家のある通りに入ったときのこと。真直ぐ長い通りに白いライトをつけた線が1mおきくらいに左右にわたされ波打つようだった。

12月5日(土)

仔羊の丸焼きの話からジビエ、ハラルなどの話になり内澤さんが自分で猪を仕留めて食べることから、岡山では猪が山から海に転げ落ちて漁師が網で掬い、猟師にあげるという話も。横浜土曜クラスの人達とのランチで。

12月4日(金)

来年の干支サルのぬいぐるみを上野動物園から郵送してもらう。毎年、リアルでありながら、とても魅力的。レイモンド・ブリッグズのサンタクロースと共に、年末の訪れを知らせてくれるもの。今年はグデタマも待機。

12月3日(木)

すみません、麹町カフェ、ご存知ですか、と若い女性の二人連れに聞くと、顔を見合わせて、さあ、と言いつゝ、一人がスマホを取り出し、画面を見て、あ、載っている、信号を渡ってすぐ右手角のようです。ありがとう!

12月2日(水)

きのう急に寒くなった。床暖房で家全体を暖めるのは早いし、エアコンで少し温度をあげようとしたのに動かない。リモコンの電池を取り替えてもだめ。それでさらにトライして成功!私にしては天才的な仕事をした!

12月1日(火)

そこは使い古しのレースだけを扱う店だった。・・・多くは端切れで、それらが格子に仕切られた棚と引き出しにびっしり陳列してあった。すっかり使い物にならなくなった衣服から、まだ息の残るレースだけを切り取り、救い出すのが店主の得意とするところだった。(小川洋子『最果てアーケード』から)