98字日記ー2022年6月

6月30日(木)
四方田犬彦『モロッコ流謫』をあと数ページで読み終わる。旅行記であり文学論であり、とにかく気がつくと読み耽っていた。砂漠のオアシスに忽然と現れる図書館、書架に納められた4千冊はある書籍群。

6月29日(水)
日中の気温が36度。猛暑が日本列島の殆どを覆っている。チベット高気圧の影響とか、あまり親しくなりたくない名前のお客様。バス停と家との間、木陰をえらんで歩き、家では28度設定のエアコンで、ほっと息をつく。

6月28日(火)
新しいヴァージョンのスマホに替えた。丸の内のAppleにMが一緒に行ってくれてやっと。旧スマホから全てを移す。しばらくは試行錯誤でよろよろかも知れない。澄んだ赤いボディに薄いピンクのカバーをかけて華やぐ。

6月27日(月)
歯の洗浄につがわ歯科に行き、上体を倒して眼を覆われている時、沢山のことを考える。もうこの世にいない友人たちを想う。何年も会わなくても、いることといないこととの違いの大きさが重い。ずっしりと重い。

6月26日(日)
連蔵さんと記念碑から実像との違いを思い、『きみが死んだあとで』の特別対談で見終わっていなかった部分、代島治彦監督と大友良英、監督と四方田犬彦との話をパソコンで聞く。実像の再現の可能性を感じる。

6月25日(土)
ふと石井連蔵さんと組んだ仕事を懐かしく思い出した。野球殿堂入りを果たしたのは亡くなられて5年ほど経ってからで、その後、出身の水戸一高に石碑もたった。没後の評価はご家族には名誉でも本人は知らない・・

6月24日(金)
まだ梅雨の時期なのに晴天。朝5時過ぎブラインドを巻き上げサッシを開けると、爽やかな風が吹き込む。えっ? 眼下の2米はある立木の片側だけ葉が削がれて枝ばかりが剥き出しになっている。強風で? いつ? 不思議。

6月23日(木)
梅雨の時期にしては雨が少ない。でも外にいることが何て少ない生活をしていることか。新宿と横浜の講座にでかけても駅から直結している建物の中。家の中から木々の緑は絶えず見えていても、ガラス戸を通して・・・

6月22日(水)
英語の冠詞、a や the を正しく理解できていなくても、ガタガタ言うのは止めよう。と、反省する。でもそこが出来ないとピシッとした翻訳にはならない。初出の this も同じ。どうしたら分かってもらえるのだろう。

6月21日(火)
とても近いのに、数年行かなかったかも知れない2階のデニーズ。明日が出張で泊まりに来たMと行ってハンバーグを食べる。いつのまにか内装も変わり、感じが良くなっていた。また文庫本を持って降りてこよう。

6月20日(月)
ポイント制、アプリ、Tカード、割引・・本当にあの手この手で消費を誘われる。でももう、それに合わせた買い物はしない。Suica が使える店も多くなったし、便利さと正確さを大切にした支払い方をしよう。

6月19日(日)
明日、脊柱管狭窄症の手術を受ける友人が麻酔前に聴く音楽をモーツアルトの交響曲25番にするという。あの初めのアレグロはあまりに素敵で胸を締め付けられるのに・・私ならやっぱり古いスローなジャズかな。

6月18日(土)
ブルース・チャトウィンが書いたドナルド・エヴァンズについての一文が、全クラスで来期最初の課題。最初の訳文提出が今日の土曜クラスだったので、画集を回して見てもらう。美術と文学が融合した、形は切手・・

6月17日(金)
自宅の廊下の書棚の前で立ち読み。ティンブクトゥについて読もうと森本哲郎さんの本を探したけれどなくて、佐田稲子の『ひとり旅ふたり旅』を拾い読み。ドニエプル川という文字に惹かれてキエフについて没頭。

6月16日(木)
最近、綺麗なプリントの服に会う。今日は大江戸線で3人。1  モリス柄のような紫や緑の幾何模様の服 2  黒地に動物と木の総模様のスカート 3 強い印象の2種類の小花の総模様を縦に接いだ服。どれもすごくよかった。

6月15日(水)
近所のお元気だった方が、とつぜん老けて弱々しく歩いておられるので、声をかけそびれてしまった。私もひとから見たら、そうかも知れない。席を譲ってもらうと、ためらいなくお礼を言い、座ることにしている。

6月14日(火)
アニメだけれど地元の館だし、と思いつつ行って・・よかった! アリ・フォルマン監督『アンネ・フランクと旅する日記』。日記でアンネが語りかけるキティに過去といまの難民問題を結びつけさせた。観客は4人。

6月13日(月)
大谷翔平の昨日の第13号ホームランは打球速度113.5マイル。実況アナウンスではロケットとかレーザーという感嘆があがった。フォームが美しいのも最高。不調の日々があっても去年6月はひと月で13本だったのだから。

6月12日(日)
朝のうちに東京駅へ行く。『牧歌礼讃/楽園憧憬』ーーアンドレ・ボーシャン+藤田龍児の作品がそれぞれ50数点。藤田の抽象画風の作品がおもしろかった。心地よく会場を回り、オアゾの丸善で本を3冊、買う。

6月11日(土)
セクハラという括りで不愉快な言動が糾弾されるようになったのは進歩。ただマタハラとかモラハラとかいう言葉も飛び交うのは、すごく表面的で、いや。男女ともにもっと人間として根源的な気品を問題にしたい。

6月10日(金)
「吉田秀和没後10年 ことばを奏でる」はいい連載だった。とにかく『音楽展望』は40年間、朝日に書き続けられた知の遺産だ。吉田純子編集委員の筆も変わらず冴えて清々しい。聴いて、聞いて、書いている。

6月9日(木)
ルシア・ベルリン『掃除婦のための手引き書(を含む24編の短編集)』を岸本佐知子訳で読み始めた。読みたかったからこそ読まないでいたもの。満谷さんが文庫をくれたので、ついに読む。魂を掴まれそうだ。

6月8日(水)
昨日は魚魯魚魯で満谷さんとランチ。永田耕衣の美しい装丁の句集を見せてもらう。彼女が訳本を出さなければ私は耕衣を知らなかった。俳句を誘われたこともあったけれど私には無理。むしろ川柳に心惹かれる。

6月7日(火)
朝6時、久子さんからのメールで天使館で公演中の「バッハのフーガの技法を踊る」のYouTubeサイトを知る。ブラインドをあげ薄曇の空を背景に笠井叡、平山素子の踊りを高橋悠治のピアノ音源でみる。至福の1時間。

6月6日(月)
仕事の中身が変わった57歳の時、新たなプロジェクトの立ち上げをきっかけに一年だけ日記をつけていた。それが出てきて、いかに日々が雑駁だったかを思う。社内外の大勢の人に会い、そのほとんどを忘れている。

6月5日(日)
待望のブルース・チャトウィンの足跡を追うW. ヘルツォーク監督『Nomad  歩いて見た世界』を岩波ホールで。チャトウィンより監督を追っている感じながら、実際に訪れた場所が異様な凄さ。 夫人が1938年生まれ!

6月4日(土)
横浜のクラスで自転車の三角乗りを知っているか聞いたら2人の手が上がった。姉達はついに自転車に乗らなかったので、三角乗りを知らないから若いとも言えないけれど、年代ごとに物に対する知識が本当に違う。

6月3日(金)
小学校の運動会が、練習も当日もひっそり、ひっそりとしている。当日といってもどれが当日かよく分からない。学年ごとに日を変えたり家族の応援が限られているから。音楽だけでもガンガン鳴らせばいいのに。

6月2日(木)
バス停で土田さんと数年ぶりでお会いした。乗車してもお喋りが続き、駅まで1停留所の短さだしマスク越しだったのだけれど、マイクで「会話はお控えください」と注意された。土田さんはお元気そうでよかった。

6月1日(水)
「わたしは往来へ引き返した後、もう一度この廃墟をふり返った。やっと気のついた栗の木はスレエトの屋根に押されたまま、斜めにピアノを蔽っていた。けれどもそれはどちらでも好かった。わたしは只藜の中の弓なりのピアノに目を注いだ。あの去年の震災以来、誰も知らぬ音を保っていたピアノに。」(芥川龍之介『ピアノ』から)