98字日記ー2017年7月

7月31日(月)
テレンス・デイヴィス監督『エミリ・ディキンスン』をみる。リアルで緊張したシーンが次々と展開し、これまでの詩人のイメージと随分違う。でも後になって、あれこそ、あの数々の詩を生んだ実像だと胸に落ちた。

7月30日(日)
今日はエベレストにまつわる課題の添削で、調べに集中する。筆者はあのテンジンの息子で同じくシェルパ。96年の大遭難事故の救助に加わっている。山の話は翻訳の修練に役立つのに最近は取り上げていなかった。

7月29日(土)
白に白の模様が織り込まれた帯をMと探していて、なければ妥協せず福岡で探せばいいと思っていたのが偶然、銀座松屋の呉服売り場でまさに希望の献上博多に出会い仕立てを頼み、教文館の4階でアイスココアを飲む。

7月28日(金)
パオロ・ヴィルズィ監督『歓びのトスカーナ』をみてよかった。重い心を抱えて送り込まれた診療施設を脱出した二人の女性が炸裂する。こんな映画をつくれるなんて!でも紹介にあるような人生賛歌ではない。生の感動。

7月27日(木)
授業を3時間つづけても、それで疲れを感じることはまったくない。でもその夜は9時になると眠くなる。本にも集中できず、少し寝て、夜中に起きようかなと思う。そして朝まで眠る。この自由があることがありがたい。

7月26日(水)
横浜に行くのに最適の天気。雨がさらさらと降っていて、空は一面にどんよりと曇っ
たままで晴れる気配はない。泉岳寺始発の京急の二人掛けの席に一人で座り、空を眺
める。厚い雲の裏側に光が射すこともあって静謐。

7月25日(火)
何かをいただいてもなるべく書き記さないことにしているけれど、今日は特別。桃、トマト、マンゴーが一つか二つずつ、飲む蜜柑の小瓶、ベビーリーフ、白いマッシュルーム5粒の美しいこと!一人のための野菜籠。

7月24日(月)
報道筋はシニアに暑さを我慢しないよう呼びかけている。まだ8月にもなっていないのに連日の猛暑に、体温の調整に弱いお年寄りや幼児が熱中症にかかっているため。公立小中学校でクーラーを入れていない県もあり。

7月23日(日)
45年前の日と曜日が同じになった。日曜日で青い空がこよなく深く、高く、遠く地上を包んでいて、台風が通ったあとの澄んだ空気は柔らかに光っていて、たしかに微笑みの天使が白いレースの羽を広げてくれていた。

7月22日(土)
今日は少し鬱。こういう日もある。よかったのはゆで卵が完璧にできたことぐらい。冷蔵庫で冷やしておいて皮を剥くと黄身の半熟度がすばらしかった。こういうことは滅多にない。茹でた時間を覚えていないのは残念。

7月21日(金)
西葛西駅周辺での一日。個別扇風機のある美容院も、低く流れるジャズを聴きながら食べる冷やしタヌキソバが美味しい蕎麦屋も、28度以上でドライミストが頭上から吹き出すバス停も、綺麗な冷気を工夫してくれる。

7月20日(木)
東京駅中央口の前が様変わりしている。長年の工事中がかなり解消されて広い空間ができた。バス停も位置が変わって一昨日はウロウロしてしまった。緑も配置されてお濠に向かう一直線が美しくなるといいのだけれど

7月19日(水)
昨日は酷暑の合間に文京区や練馬区で激しくヒョウが降り交通機関が乱れて私も巻込まれた。でも冷房のきいたバスに座って渋滞中も見知らぬ景色を楽しみ、最後は東大島から親切なタクシーで帰宅。SF的ツアーだった。

7月18日(火)
本籍地にしてある他区へ戸籍抄本を取りにいった。申込書は係員がそばにいて最低限書けばいいように教えてくれる。西欧系の外国人青年だった。窓口では優美に、しかも最速で処理してくれて10分ほどで完了。素敵!

7月17日(月・祝)
不染鉄(1891~1976)の作品を初めてみる。個人的な心象風景かもしれない大正から昭和にかけての奈良の里山が思わぬ大きさと細かさで描かれ、『秋色山村』と題する柔らかな作品に住みたかった。東京駅ギャラリー。

7月16日(日)
スマホに少しずつ慣れてきて、圧倒的に便利なのはマップ。山種美術館への道のりを調べたら自宅からは3万步だとわかった。では歩こう、とはならないけれど、バスも含めて経路が示されるのは出かける上で大助かり。

7月15日(土)
普通ですか?という質問に大人げなく反発してしまう。普通が判断の基準に置かれるのが我慢ならない。課題についても聞かれる。「このレベルが普通ですか?」「この英語は普通の英語ですか?」そして私は、かっとなる。

7月14日(金)
猛暑が続き、バスを待つ背中に汗がふきだす。でもそういう日の夕方はすべてが格別に美しく、青い隅田川は穏やかに波を揺らし、その向こうに見える東京タワーが赤紫の空を背景に次第に金色に輝き出す。やがて屋形船。

7月13日(水)
最近は音楽を聞き流していることが多い。なかで深くとどまっているのは数日前、朝のクラシック倶楽部で聴いた黛敏郎曲『ROKUZAN』。山宮るり子のハープ演奏で新鮮な音の奥行きと広がりがあった。知床での録音。

7月12日(水)
今週は4クラス。大変というより全員に会えるのが嬉しい。先週から新期となって夏は少し人数が減るのもいい。とはいえ翻訳塾以外の仕事になかなか手をつけられず、どう時間を見つけようかと好きなこと優先、を反省。

7月11日(火)
『残像』を岩波ホールで。昨年90歳で死去したアンジェイ・ワイダ監督の遺作で、ポー
ランドの画家ヴワディスワフ・ストゥシェミンスキの晩年の4年間が描かれている。1948年以降の一党独裁体制が突き刺さる。

7月10日(月)
32度とか34度とか熱風をともなう気温の高さに、外出を極力控える。夕方になってジョージア語のクラスへと向かう時は繁った木々の枝葉が心地いい影をつくってくれて風も爽やか。ゆっくりと歩いて夏の光を楽しむ。

7月9日(日)
国連本部で核兵器禁止条約が採択され122カ国が賛成したが、核保有国と日本は不参加。被爆国でありながら核に守られようとする矛盾から解かれる日はいつ来るのか。群雄割拠していた日本列島が一つになったように。

7月8日(土)
親しい人を訪ね、共にすることなどかなわない悲しみと辛さの深さに触れながら、私は、亡くなった人の全てをそのまま受けとめる。それだけが残された人の心に僅かでも添うことかと。Mを羽田までタクシーで送る。

7月7日(金)
7日は『文學界』『新潮』『すばる』『群像』の文芸4誌が朝刊に広告を載せる。内容をつぶさに眺め、それだけでもかなり読んだ気になり、1冊を選ぶ。デニス・ジョンソン追悼と中島京子選評がある『新潮』かな。

7月6日(木)
ジャコメッティ展。作品を初めてみるわけではないので懐かしさも同居する感情に押されながら静かな会場を廻る。それにしても真っ直ぐ。凛としてブロンズの真っ直ぐ。他のことは忘れられる時間だったと後で気づく。

7月5日(水)
学生時代以降に訳した膨大な原稿用紙の束を一度だけ読んで、捨てようと思う。英米、ネシア、オランダの本の翻訳で、読んでいても頭に残らないためメモを取る代わりに片端から訳していた。鉛筆書きの半端な訳ばかり。

7月4日(火)
パンダのシンシンから生まれた赤ちゃんが元気な様子の写真を見た。黒い帯が身体に現れ、メスであることも判明した。よかった! 今度はきっと大丈夫。先月生まれた時は、この前の経験から不安で喜びに浸れなかった。

7月3日(月)
中学生棋士の藤井聡太四段が30年ぶりに連勝記録を伸ばし、日本中をフィーバーに巻き込んでいた。29でストップしたけれど、凄い新記録。退院以來忘れていた詰将棋をまたしたくなった。5手の難問が一番好き。

7月2日(日)
猛暑の中を都議選に行き、バスに乗った先の映画館の時間を見ると偶然、5分でシネマ歌舞伎が始まるところだった。『 野田版研辰の討たれ』は中村勘三郎の襲名披露でも再演された懐かしい演目。元気な勘三郎!

7月1日(土)
昔、宮仕えの上級女官の言葉を女房言葉といいました。香物は、おくうのもの、豆腐は、おかべ、そして餅は、あも。滋賀県伊吹の山麓に育った、今年春摘みした蓬を・・・味わい深く求肥に練り上げました。(叶匠壽庵「あも」から)