98字日記ー2015年3月

3月31日(火)
ガス機器の点検に時々来る担当の若い男性は多分7、8年同じ人。最初はぶっきら棒で、ほとんど口を開かなかった。毎年、少しずつ緊張が取れていって、今日はなんと帰り際に明るく大声で「また伺います!」と言った。

3月30日(月)
草の名前に疎いけれど、ヨモギだけは草むらの中で見分けられる。子どもの頃、春になると旧井の頭通りや玉川上水の土手で摘んだ。それを母がすり鉢ですると香りが部屋中に広がり、やがて粉と蒸し上がって草餅に。

3月29日(日)
満開!桜、桜、桜。バスの窓から外を見ていると彼処でも此処でも花がやさしく輝いて現れる。一本の古木だったり数本の若い木が並んでいたり。住処に一番近い木は下を通ると、はらっと幾つか花びらを散らしてくれた。

3月28日(土)
ラフマニノフ、シュニトケ、シューベルト、マーラーなどで六人の女性ダンサーと笠井叡が踊る公演は『今晩は荒れ模様』。大満足。笠井叡が踊ると空気が引き裂かれる気配になるが、ふっと笑わされる、いい瞬間がある。

3月27日(金)
今日のグーグルのロゴは一見なにか分からず、麻雀の日かと思った。調べるとあの尊敬する古河太四郎の生誕170周年とのこと。日本初の手話を考案し、明治11年に京都に「もう・ろう者」のための学校を創立した。

3月26日(木)
3月は沢山の終わりと始まりがある。親しい小学校の校長先生から、お近くに異動になりました、と電話。一年後には地域での二校統合が決まっているので難しい局面が待っているに違いない。新しい校名に私も応募した。

3月25日(水)
スーパープレゼンにNパスリチャ登場。ブログ『千の最高!』で知られる人で話は楽しかった。この98字日記もちょうど千日目くらい。何か決まったテーマで千個書く方が楽しかったもしれない。さてどうしようかな。

3月24日(火)
TV
で私たちは普段、要領のいい説明に慣れてしまって物事が進む上で合間にある時間を知らない。チュニスで犠牲となった日本人三人のご遺体が飛行機で成田に着いたときのNHKの中継は大失敗。プロではなくなった。

3月23日(月)
夕方遅くMと一緒に森を見にいく。日本橋高島屋の正面玄関を中心に巨大な、細い、太い、地を這う、もしゃもしゃの葉の、すべすべの葉の樹木がジャングルのよう。プラントハンター西畠清順の仕事に息が透き通った。

3月22日(日)
課題の中で調べるうち、ふいに新聞やTVで取り上げられることがよくある。最近では「ごしきひわ」、ドローン、ディストピア。今日はNYタイムズでアオアシカツオドリの写真を発見。あひるのような足先が青い。

3月21日(土)
横浜に行くのに祝日なのを忘れバスの時間がいつもとちがい遅刻寸前。クラスは全員出席で今期を終える。自販機で買おうとしたお汁粉が隣の生姜レモンになり、酸っぱいのをコーヒーで緩和しながらのお茶の時間だった。

3月20日(金)
サイトウキネンオーケストラを小沢征爾が振り、ロストロポービッチを迎え『最後の』とつけた「ドンキホーテ」。2002年のNHK放映をアーカイブスでみる。75歳で深い音色を響かせたチェリストは5年後に亡くなった。

3月19日(木)Tales From Nowhere を編集したドン・ジョージの序文から。「ジグソーパズルのピースの一つである自分は地球というパズルにぴたっとはまったとき安らぎを得る。けれども はまらないNowhere があり、その束の間を旅に求める」

3月18日(水)
チュニスで武装グループが博物館を襲撃してたくさんの死亡者を出した。ここでもイスラム過激派が活発になっているという。チュニジアは一度行きたいと思いつつ果たせなかった地なのに。白い鳥籠はいまも憧れの的。

3月17日(火)
山海塾の新作=5月東京公演のチケット1枚、オンラインでとる。家のiPadでは申し込めず、先行予約とはいえ遅くなり、しかも席の決定をしてから1階と2階を間違えていたことに気づく。ああ、ココナツオイル。

3月16日(月)
入院中の人に長い手紙を書き、書いたことですっかりやり終えた気がしてポストに入れた。切手が貼ってなかったので戻ってきた。封筒が少しよれよれになっていた。物忘れへの予防にはココナツオイルがいいという。

3月15日(日)
ご近所でお昼に続き夕食用にもカレー包みなどを持たせてもらい、申告の書類が仕上がったところでチャンギ空港からMの電話でKイシグロの新作を買おうかと電話があり、TVで宮田大の「エレジー」が聴けて良き日曜日。

3月14日(土)
30年間売れない演歌歌手・下積長子は「水道水を小瓶にいれて化粧水に」していた。「午前中に政宏をみて午後に政伸をみた」のでもしかして運が向いてきたのでは、と思う。10年目となる『ケータイ大喜利』から。

3月13日(金)
脚の手術が終わったら歯医者と決めていて、縁のない医者なので開院して間もない処を選んだ。同じマンションの一階だから予約時間の3分前に部屋を出る。治療中、何をしているところか話してくれるのも若手らしさ。

3月12 日(木)

今年もまた世の中の人は皆すべて賢く自分はなんと愚かなのだろうと思いながら難解な確定申告の書類作り。16日が締め切りなので、この週末を当てる。少しやっては休みという、いやいやながらの作業だからだけれど。

3月11日(水)
今頃思うことではないけれど今年は未年。新年から少し息せき切って過ごしてきて、ふっと立ちどまれた感じ。毎年、上野動物園でつくる精巧でありながら愛らしい干支をしみじみ眺める。頭と脚が白い茶色のムフロン。

3月10日(火)
東京大空襲から70年、東日本大震災から4年、と追悼の日々。ドイツのメルケル首相が来日し、福島の原発事故をきっかけに22年までにドイツの原発全廃を決定したと明言し、日本も共に歩もうと促す。そうしたい。

3月9日(月)
ディカプリオ、Mストリープ、Dキートン、Rデニーロという名前に惹かれてTVで映画『マイ・ルーム』をみる。1997年公開で『タイタニック』と同年。撮影は少し前なのか、ディカプリオが17歳の役にぴったり。

3月8日(日)

インドの紅茶をいただいて喜んでいたら、インドから帰ってすぐの別の人と会って立ち話。食事のあと食器はサーヴァントに洗わせるから、と放っておかなくてはいけないのが辛かったと、日本の主婦らしいお土産話。

3月7日(土)

横浜・朝日カルチャーセンターのロビーが華やか。古代縮緬裂地のつるし雛の制作品がいくつも飾られている。ひとつひとつが愛らしい鳥の形のも多く、ふっくらとした縮緬の手触りが感じられる。伊豆稲取が発祥とか。

3月6日(金)

距離的には列車と言いたい電車の中で本を開くものの、それでもう安心して、結局ほとんど読まずに目を窓外に奪われる。あるいは目を閉じている。明日も横浜まで京急のボックス席でいくことになるといいのだけれど。

3月5日(木)

福岡からの飛行機ではなく名古屋で仕事をして新幹線で来るというMに赤福を頼んだ。この餡の味、何年ぶりかしら。「伊勢名物」という文字の入った素朴な包装も昔のままで、日本のお菓子はいいなあとしみじみ味わう。    

3月4日(水)
横浜でお茶の時間に映画や展覧会の入場料が高いという話になる。とくに子ども連れのときなど、無料だったらちょっと寄ることも気楽にできるのに。国立や都立の美術館は考えてほしい。特別展など1600円なのだ。

3月3日(火)

近眼でも老眼でもなく眼鏡はまったく必要なしとはいかにありがたいことか諭された(要するに維持しなさいということ)。白内障手術のおかげで辞書も裸眼で見えるのは確かに楽。UVカットと風よけで伊達眼鏡はしたい。

3月2日(月)

月曜紙面の歌壇で久しぶりにアメリカで服役中の郷隼人さんが2首、選ばれていた。しばし思いをはせるものの、やはり松田姉妹がいい。「辛かった調理実習のタコライス舌は最後に大人になるんだ」(梨子  高校生)

3月1日(日)
「ある晩 ムーヴィから帰りに石を投げた/その石が 煙突の上で唄をうたっていたお月様に当った お月様の端がかけてしまった お月様は赤くなって怒った/「さあ元にかえせ!」「どうもすみません」「すまないよ」「後生ですから」「いや元にかえせ」(稲垣足穂『一千一秒物語』から)