98字日記ー2013年5月

5月31日(金)
明日もグルジア語の予習をしないまま授業に出席する。宿題ではないけれど、ガラクティオン・タビゼの詩『バヴシュヴォビス ドゥゲエビ(こどもだった頃の日々)』を暗記してみる。ムツハレ ペルフルシ・・・難しい。

5月30日(木) 

このところ毎日、同じ服ばかり。3月に買ったヨウジヤマモトのきれいな青のクロップドパンツ、白いシャツ、8年は着ているイッセイの長い青系・フードコート。洗っては2時間で乾かす。他の服装は気に入らない。

5月29日(水)

横浜駅に9時に着いてしまい、京急線下りホームにあるタリーズで、二階までコーヒーとパンを運んでもらう。トレイを持って階段を上がるのは苦手なので。しんと静かで明るい中での半時間ほどは心地よい準備の時間。

5月28日(火)

荻窪の衛生病院は幾度か訪れた。お見舞いだったり赤ちゃんの誕生を祝ってだったり。今日はお年を召した方にお会いし、90を越してなお頭の回転がはやく、一度途切れた話題を暫くしてつなぐ明晰さが羨ましいほど。

5月27日(月)

夜中の3時にサイモン・ラトル指揮のベルリン・フィルが放映されているのを思い出した。2011ジルベスターで、キーシンがグリーグ『ピアノ協奏曲』を弾く。TVで聴くのは2度目。ときどき睡魔に襲われながら。

5月26日(日) 

近隣の道や広場の清掃の日で、皆で回ると大きなゴミ袋があっという間にいっぱいになる。終わってから、外でのビールがおいしい。もっとも2時間、日に当たっただけでぐったりとなり、午後はソファで伸びていた。

5月25日(土) 

女優の中村真知子さんが、牧南恭子さんの『日本橋夜話』を朗読するという素敵な時間に出会う。銀座・泰明小学校横の路地にある「ピッコロ」もよく、その辺りは昔とお店がすっかり変わり、これから探検の価値あり。

5月24日(金) 

少し前の映画でも、タバコを吸うシーンが多いのに驚く。確かに30年前はまだ、どこも煙もうもうだった。映画館だってスクリーンがかすむことさえあった。だから可能かも。公共の場及び移動中スマホ使用禁止令。

5月23日(木) 

蝉丸が顔の横で右手の指をひらめかせるとすべての終わりの合図で、天児牛大がこよなく優雅にすっくと右腕を高く伸ばし、照明がそれを観客の目に残像として焼き付ける。そこはいつもの山海塾。新作「うむすな」で。

5月22日(水) 

固い蕾でもらった芍薬が、今日はぱっと花開いて、ピンクと白のグラデーションがこよなく柔らかく部屋の空気まで変えてくれた。茎の長いかすみ草を花瓶に合わせてまとめるのをやめ、大きく広がったままにしておく。

5月21日(火)

月に一度、家での集まりに、なんとか埃だけはとっておきたいのだけれど、掃除機でもウェットやドライのクロスでも箒でも、木の床や棚の桟の埃はなくなってくれない。ルンバでも。どこからくるのか、ふわふわと。

5月20日(月)

吾妻橋のアサヒビールタワーは幾度か行っているのにロビー行事が多く、スクエアは初めてだったのか。とにかくフィリップ・スタルクのデザインは最高でトイレの重厚な輝きといったら!華麗なるタイルと金属の配合。

5月19日(日) 

今年はじめフランス公演が話題になっていた『シュピール』をようやく東京でみられた。踊り手と自分の間を遮るもののない濃密な(しかも軽い)エアの中にいることだけで嬉しい。笠井叡とエマニュエル・ユイン。

5月18日(土)

居住地域での会議は午後8時から。週末昼間は催事があるし、深く関わっている人たちは本当にご苦労さま。でも10時近くに終わるとき、樹々の間から校庭の向こうに見える小学校の職員室の灯りは煌々とついている。

 5月17日(金)

大体はぼんやりしている自分を、天才だ!と思うことがある。ファイリングできなくて山となっている紙類から必要なコピーをさっと見つけたときや、雑然と重なっている本のなかから要るのを即座に探し出したとき。

5月16日(木)

デイヴ・エガーズの短編は、課題として訳すにはあまり楽しまれなかった気がするけれど、私は魅了されている。「水は魚にどう感じるか」「変な妻」など、久しぶりに自分の訳をつけたいと思っている。時間を見つけよう。

5月15日(水)

『ウルトラI LOVE YOU』を好きな映画だと話したら、サンドラ・ブロックがこの映画で最低主演女優賞をとったと言われた。確かに男優群が下手だし、くだらない点も多々あるけれど、私はディテールが変わらず好き。

5月14日(火) 

フランスでは公的書類からマドモワゼルをなくしてマダムだけを使うことにすると読んだのは、昨年のことだったか。英語では、すでにミズが定着している。古き時代の香りを懐かしむのは文学の中でだけにしたい。

5月13日(月) 

課題のひとつがサハリンを舞台とする紀行文。そこにも出てくるニヴフ民族の作家、V.サンギの短編集が訳されているのを知り、今日、ゲット。北海道新聞社の2000年発行で、少数民族に光を当てているのが嬉しい。

5月12日(日)
火野正平さんが自転車で各地をめぐる、にっぽん縦断『こころ旅』というTV番組を、朝ときどきみる。行く場所を決める視聴者から届く手紙の多くが字もきれい、文章も整っていて、そのことに私はいつも心打たれる。

5月11日(土) 

「また会う日まで」と賛美歌を歌いながら、本当に会いたいと思った人のクリスチャンネームはベルナルド。聖イグナチオ教会の白く輝く天井と壮麗なステンドグラス、花々が山で眠ったままの顔を美しく照らしていた。

5月10日(金)

家にいると仕事場でしたいことを思い、仕事場にいると家でやることを考えている。ちょうど旅のあいだに我が家を思い、家にいると旅に出たくなるように。その小型版というか狭い生活の中での日々の繰り返し。

5月9日(木)

このところ絶版本で欲しいものが多くアマゾンコムの中古を頼ることがしばしば。届けられて初めてわかる送り主の住所に想像をかき立てられることも。今日は和歌山、福島、香川の見たことのない名前の町からだった。

5月8日(水)

横浜での授業中に携帯に何本ものメールがはいり、早川大府さんの訃報を知った。白 山系ブオナ山に一人でテントを張っていてのCO中毒。周囲の大切な人が次々といなくなる。百名山登頂後の笑顔が素敵だったのに。

5月7日(火)

憲法記念日に出された社説などを読み終える。改憲の「手続きを三分の二以上賛成から過半数に引き下げる」のは「まず誰がみてもおかしい点を変える」ためという自民党。それなら過半数以上にしなくてもできるでしょ!

5月6日(月・休)

『シュガーマン』をみて、ドキュメンタリー映画のいろいろを思い出していた矢先、『オロ』の岩佐寿弥監督が民家の階段で足を踏み外されたと知った。とつぜんの死もある。代島プロデューサーは死を「強い」と表現した。

5月5日(日)

きのう「木場一丁目」と書いたのは、「木場二丁目」の間違い。きょうも横を通ると、ミミズクが窓の中からバスを見ていた。町中はがらんと空いているのに、どこかだけ突如として混み合っている。ここの行列のように。

5月4日(土) 

空は晴れ渡っていて、なにも約束がなく、頼まれている文章などをようやく書き始めた穏やかな日。襟もボタンもない超シンプルな薄灰色の服を着て、ミラノ土産で貰ったリップとネイルの爽やかな橙赤色をつけてみる。

5月3日(金・祝) 

いつも通る「木場一丁目」バス停横に半年前、「鳥のいるカフェ」が開店した。休日には外に20人くらいの行列。フクロウ、ミミズク、インコなどスタッフという名で、売られてもいるらしい。鳥マークのビール缶がきれい。

5月2日(木) 

朝の連ドラ『あまちゃん』の音楽が個性的な元気いっぱいでいいなあと思っていたら、ふと映画『オロ』のスタッフの名前と同じことに気がついた。大友良英さん。断片的に記憶にあったものが何かで結びつく嬉しい瞬間。

5月1日(水) 

坂の五月/マロニエに花咲くころ/何人も永遠へもどるために/月を待たず旅立つのか/三千年の代のささげる/この故園のかたみの/このマロニエの花も/野原の雲を色彩る/紅のサンザシの花も(西脇順三郎「哀歌」から)