98字日記ー2016年4月

4月30日(土)
今日はマリンバ・オーケストラを聴きたかった。新実徳秀先生の作品の初演が楽しみだったのに慣れない会場に夜というのは、ハードルが高い。せめてチラシの美しいマリンバのスティックを眺める。絹糸で巻いてある?

4月29日(金・祝)
連休の第一日、晴れながら強風が吹き荒れ、会場がトリフォニーで開演時間が早かったので外語大オケの創立50周年記念演奏会に。それが素晴らしかったのだ。特にマーラーの『巨人』。若者だけの気持ちよさを知った。

4月28日(木)
どうなることかと思った今朝の微熱、吐き気、脱力感。二クラスある日に。しかも雨。幸いにも授業は午後からで、出かけるまでに治る。Bクラスは人数が減ったので席の配置が三角形になり、その斬新な対応が素敵だった。

4月27日(水)
液体ミルクが日本では認可されていず、災害の時など粉から作るにもお湯がなく親が大変な思いをする。東日本大震災の時から要望が高まっているのだから、せめて緊急時に海外からの支援はすぐ受けるようにすれば!

4月26日(火)
「ムルマ」は「足だけを使って水の中で何かを探すこと」(前田まゆみ訳)を表すワギマン語。一語では翻訳不能な言葉を集めた本『Lost in Translation』は米国20代のエラ・サンダースによる文・絵。日本語は「木漏れ日」など。

4月25日(月)
東京では各家庭がある程度ペットボトルで水を用意しておくことは常識でも、熊本がそうでなかった理由が分かった。多くの村に水源があって飲料に生活に農業に使っていたのだった。それが地震後枯れてしまったという。

4月24日(日)
牧南さんも言っていた。一日置きね、と。何かした次の日は休み。それで今日は休み。課題探しで何冊かの本に目を通す。候補なし。今しているヒエロニムス・ボスは記事だけれど楽しいという声が聞けて嬉しかった。

4月23日(土)
ヤマハホールで田村明子さんのピアノ(シューマンがよかった)を聴き、ローズベーカリーで例の重い鉄瓶からアールグレイを飲み、小さな文房具店でマウスパッドを買い、勝どきの部屋に寄ってアボカドに水。

4月22日(金)
プリンスが57歳でとつぜん死去。ロックやポップスにどきどきして名前を知った、数少ないミュージシャンだった。発音しない名前に変えたときは、その激しい抗議力に心を動かされた。まさにアーティストだった。

4月21日(木)
ファべの枕を新調した。今のは5年以上使って、へたってきた。圧縮パックで届いたので今夜は空気を含ませよう。熊本で避難している人が「日常の大切さを初めて知った」と言う。  苦労なく生きてきたということ?

4月20日(水)
熊本の甘藷は紫色でずしりと重い。食料備蓄は熊本産で始める。マルエツにあるし銀座の熊本館に行こう。M情報では福岡のスーパーの棚からトイレットペーパーがなくなり、小学校に集めては熊本に送っているという。

4月19日(火)
タクシーの運転手さんに走行中に地震になったら?と聞いた。「なるべく低い建物の横で停車して乗っている、指令とは違うけれど」。私は楽天的に家に閉じ込められることを想定して飲物と食料1ヶ月分を用意していよう。

4月18日(月)
頂上の雪の量が完璧な富士山を見ながら「こだま」で三島に。ビュフェ美術館でクートラスの作品をみて好きで描く情念を思う。マイ・プラン第一弾は佐野さんと中道さんがお客様。レストラン「プリマヴェーラ」で。

4月17日(日)
熊本と大分で、この3日間に揺れた回数、475回。何という数字だろう。その一日前は活気溢れた,あるいは静かな、あるいは・・・と日常を想う。一瞬にして破壊される恐ろしさを安易に想像することはできない。

4月16日(土)
今日16日午前1時25分に熊本で震度6強の地震。これこそが本震で、これまでのは前震だとか。さらに別の活断層も動くと予想され、大震災に!図を見ると太い活断層は熊本から大分に、そして四国の海岸線を走る。

4月15日(金)
一夜明けて、熊本の地震は被害膨大で余震も百回以上となり、九州でこんなことが、と驚きの声が大きかった。ミラノに行っているMも福岡は大丈夫かと心配したはず。明日から明後日は雨なのに、あ、また余震の速報。

4月14日(木)
夜9時半ごろ熊本で震度7の地震があり、それから断続的に揺れが襲っている。テレビはどの局も一斉にその報道に切り替わった。熊本支局があるのに中継が平板なNHKより民間各社の方が内容が豊富。CMが入るけれど。

4月13日(水)
手紙のやりとりは好きでも、出すこと受け取ることがなんとも苦手。出す方は近くにポストがないからだし、受け取る方は普通に郵便受けに入っていてほしい。今日も仕事場で再配達を待つのが、嬉しくともちょっと苦痛。

4月12日(火)
クラスの間が5日空く週は嬉しい。添削をしてもいろいろ出来そうで、課題を考えたり手紙を書く時間もあり、誰かと飲みにいけるかもと思う。でも日曜に会合があり月曜にクリニックに行って、今日まだ添削が30人分。

4月11日(月)
眩しいほどの文集を読む。『東洋英和女学院 高等部昭和31年卒業60周年記念文集』。読むといっても300ページをこすので、のり子さんの分以外はまだ拾い読み。個性ある年表にも人の歩みと時代と連続性を思う。

4月10日(日)

N響定期はロシア音楽で、いまトゥガン・ソヒエフ指揮、26歳のルーカス・ゲニューシャスのソロでラフマニノフの『ピアノ協奏曲第二番』を聴いたところ。家のテレビでこれが聴ける/みられるありがたさを思う。

4月9日(土)
居心地いい家から出かけるのは勇気がいる。でも明日で終わる『レオナルド・ダ・ヴィンチー天才の挑戦』をみないわけにはいかない。夜間帯なのに混んでいた。ダ・ヴィンチのものだけ選んでみる。五百年を意識して。

4月8日(金)
若冲の「動植綵絵」は御物のため、滅多に見られない。それが相国寺の「釈迦三尊像」とともに22日から都美で公開される。あのプライス氏が作品を訪ねる番組「鬼才の生涯」を今朝、NHKでまたみた。春はうれしい。

4月7日(木)
新宿のクラスがあるので雨の中を出かけた。シティコープの敷地を出たところで足元に桜の花びらがたくさん散って濡れている。え、と見上げると大きく枝を広げた桜の木。他の木にかぶさっていて、気づかないでいた。

4月6日(水)
歩いていても、乗り物の中からも、満開の桜花に次々と出会う。新渡橋の左右に広がる桜並木はバスの窓から、横浜に向かう京急線の川崎近くでは遠くに。それより先に我が棟のすぐ外にふわっと広がるのは枝垂れ桜。

4月5日(火)
JALの注文で大分県の一企業が作っている竹の車椅子は空港でのボディチェックで金属探知機にかかる不愉快さを解消しているという。試合で盗塁した数だけ車椅子を寄付してきた元阪神の赤星憲広選手も協力したとか。

4月4日(月)

WOWOWで『南太平洋』(1958)を観る。歌はともかく、物語は断片的にしか覚えていなかった。太平洋戦争中の島が舞台で、せりふに幾度も出てくる「日本軍」は「敵」としか字幕には出なかった。公開時も?

4月3日(日)
週に1日は家に閉じ籠って何杯もお茶を飲みながら細々とした整理するのがストレス解消。それとも逆なのかも知れない。週に5日は外に出て人と話しバスに乗り川を眺めるからストレスがたまらないのも知れない。

4月2日(土)

エドワード・ゴーリー回顧展が今日から始まった。2年間で日本の各地を回るそうで、まずは伊丹市立美術館。その後、福島県立美術館と下関市立美術館が入っているので、福島に日帰りというのがいいかも知れない。

4月1日(金)

「過ぎたことは直らないことが多し」人生のピークって いつくんの?え? 終わったの? いつ? いつだったん?」(サンリオ「ぐでたま哲学カレンダー」から)。もうひとつ。「吾輩はぐでたまである。やる気は・・・まだない」