98字日記ー2018年12月

12月31日(月)
部屋に入る敷居の上に一年間、斜めにおさまっていた波除神社の破魔矢は守ってくれていたのかしら。今年初めて、柄についた干支の絵馬と鈴はとっておいていい筈と気がついた。すっきりした矢は勝どきで待機。

12月30日(日)
結局、今日になって年賀状を書き始める。親しいのに取り交わしていない人も多い。毎年「あけましておめでとう」という言葉に少し抵抗を感じ、でも世界中に必要なのは、絶対にこのシンプルさだと自流を貫く。

12月29日(土)
『水野るり子の詩ーー皿の底の暗がり』を読むのに1年かかったと思ったのだが実は2年だった。E.A.クランストン・ハーバード大学教授の水野論と詩の訳を、日本語に訳したもの。「光と影の夢の領域を通り抜ける・・」

12月28日(金)
一晩寝れば体調が戻るような年齢ではないことを自覚しなさい、私。と、反省しつつ読みさしの本を手に取れる時間が嬉しい。でも切れぎれの時間でなく、今きちんと向かいたいと思うのは水野るり子さんの詩だ。

12月27日(木)
元気に起きてみたら声がまったく出ない。うがい薬や熱いお茶で何とかガサガサ声を絞り出す。新宿での2クラス、3時間はマイクを使い、今年の講座全てを終わらせた。聞きにくい授業を我慢してくださり、深く感謝。

12月26日(水)
上野で会議があり「フェルメール展」を観てタクシーの運転手さんからカレンダーを貰ってトローチをなめながら色々あったが、上野風月堂の喫茶室がよくて氷をぎっしり入れたサーバーから汲む水が美味しかった。

12月25日(火)
風邪、なのかどうか咳が抜けなくて、ついに診療所に行く。いつものように、治りかけていますと言われ、処方された薬は7種類5日分。どれを飲むか考えなくては。診療費は540円。明日と明後日、がんばろう。

12月24日(月)
さて年賀状。手書きに気持ちがこもるとも思わないけれど、宛名は顔を思い浮かべて書く。昨日受け取った短いメール、名文だと思った。「さっき、チョコレートが届いたよ!ありがとう。Gと争って食べます。」

12月23日(日)
家での勉強会だけ延期してもらい、ぼーっとした頭で少しほっとしている。天皇の85歳の誕生日。象徴とはどういうことか、どのような行動ができるのか模索しながらの旅を、平成天皇は声を震わせて会見で語った。

12月22日(土)
風邪をこじらせる寸前で、昨日は岩波でジョージア映画を観た。エルダル・シェンゲラヤ監督『葡萄畑に帰ろう』。原題の方がいい。サヴァルジェリ(安楽椅子)。CGを楽しんで使った風刺がいかにもジョージア的だった。

12月21日(金)
かつて所属した学校や職場などから送られてくる会報の訃報欄に、憧れていた人、尊敬していた人などの名前を必ず見るようになった。しばし茫然と時間が流れる。クリスマスローズの温かな白い花に慰められて。

12月20日(木)
井手邸にMと一緒に。超ビッグなターキーが陽子シェフの手でこんがりと焼き上げられていた。私は行くのを躊躇ったほど風邪気味でワインを飲めなかったのが残念。こういう会もいいし、居酒屋での忘年会もいい。

12月19日(水)
昨日の映画、副題は「アントニーナが愛した命」でこれが主タイトルならよかった。公開時の評を幾つか読むと、ザ・ガーディアンに「崇高なテーマをつまらない挿話で台無し にした」とあった。他でもよくあること。

12月18日(火)
数日前 wowow で観た映画が期待外れだったことをメモしておこう。『ユダヤ人を救った動物園』。ぜひ観たかった昨年公開の米映画で、ポーランドの実話に基づくというが雑な部分が目立ち、感動の薄い作品だった

12月17日(月)
年が変わるからといって慌てることはない、と自分に言い聞かせなければならない時期。それにしてもカレンダーを埋めている予定の多いこと。一つひとつクリアしていかなくては。映画も観たいし本も積んである。

12月16日(日)
広州でのバドミントン・ワールドツアーの女子シングルスでプサルラ・シンデュが奥原希望を下し、インド史上初の優勝。日本を応援はするけれど、アジアの女子が活躍できる数少ないスポーツの場も大事に思いたい。

12月15日(土)
ジョージア語の単語テストで、クヴェルツヒを卵なのに肉だ、と思い、その後にコルガとあって、これが肉だったと思い、結局それは傘で、肉はホルツィなのだった。カルトピリは葡萄ではなくてジャガイモだった。

12月14日(金)
辺野古に土砂投入。政府強行。どこかのTVで辺野古の海面下を映していた。きれいな魚達がたくさん、素早く舞うように泳いでいた。あの魚達はどこかに逃げられた? 珊瑚は潰されるのだろう。沖縄、ごめんなさい。

12月13日(木)
昨日も今日も、手の爪のマニキュアに誰かが気づいて、あ、おしゃれと声をあげてくれた。気持ちが引き立つから、たまに彩るのだけれど、自分よりも他の人の目に留まりやすいらしい。綺麗な色で活力を出そう!

12月12日 (水)
パナソニック・ミュージアムではスマホでHPを見せるとシニア料金が更に百円安くなった。でも映画を観た時、座席指定の操作を間違って豪華席になり千円高かった。アプリとかペイなんとかとか、遊ぶのも難しい。

12月11日(火)
都心の気温が7度。この冬はじめて床暖房を入れる。今週は4クラス全てがあるので家で言葉や文章の背景を調べていると面白くて、一日がすぐ終わってしまう。コックニー、第一次大戦下の英国、モーパーゴのこと。

12月10日(月)
長姉と電話で話す。元気な声に安心するものの忘れっぽくなったのも確か。年賀状の準備にかかり数を減らしていると言うが、89歳で60人も出したい人がいるのは立派。小学生の時の友達8 人との集まりの話を聴く。

12月9日(日)
もう沢山みた、と思っていたジョルジュ・ルオー。やはり気になり運動がてら汐留へ。パリの財団やポンピドゥーからの出展も多く、見応えがあった。ヴァチカン美蔵「秋またはナザレット」が胸深く落ちてきた。

12月8日(土)
中国残留日本人孤児という言葉に触れるたびに、私だってそうなったかも知れないという思いに駆られる。74歳の女性が日本に帰ってくる記事を読んだ。人生はそれぞれで、一概に何が幸せかなどとは言えない。

12月7日(金)
映画『ボヘミアン・ラプソディ』をみる。フレディ・マーキュリーとクイーンは、その全盛期がTVもみない私の生きる闘争期と重なっていた。でも曲はなぜか知っている。ライヴ・エイドのシーンでは涙、なみだ。

12月6日(木)
今日の新宿は2クラスあるとばかり思って今朝まで添削を引きずっていた。11月が5週あったための変則を忘れていた。ちゃんと手帳をみよう、月曜始まりの真面目で勤勉な手帳を。オレンジ色の表紙が気に入ったし。

12月5日(水)
それで、とても悩んでいる。来年用の手帳を間違って買ってしまった。今年の手帳の色違いのつもりが、なんと月曜始まりだった。私の1週間は日曜日で始まるのに! 買い直すべき? それとも月曜日モードにするべき?

12月4日(火)
よく買い物の失敗をする。着られない服や使えない道具を買ってしまう。返すのは面倒なので、そのままになる。最近は少し賢くなって、買い物をしなくなった。と思っていたが、やっぱり失敗を繰り返している。

12月3日(月)
冬の花が一杯。花好きが多い集合住宅にいるのが幸せ。わが棟は山茶花(寒椿?)の紅い花をつけた木々にびっちりと囲まれ、歩けば道の脇のあちこちでプランターがパンジーやノースポールを満載し輝かせている。

12月2日(日)
澁澤龍彦『高丘親王航海記』を読む。面白かった!初出は昭和60~62年、文學界で。そうだった。当時の私の人生のテーマ・シュリヴィジャヤ王国が出てくるというだけで拾い読みし、読んだつもりでいた。迂闊だった。

12月1日(土)
「デュシャンは・・・芸術の中だけで芸術至上主義的に生きるのではなく、日々の生活の中でユーモアを交えて、無駄な時間を排除して、生活を遊び、自由な人生を生きてこそ芸術であると言いたいだけである。」(横尾忠則・評から)