98字日記ー2015年5月

5月31日(日)

20代から惹かれていたというシュペルヴィエルの詩を牧南さんにおくってもらう。縦書きで読んで、と本のそのページをスキャンして。私は短編集『海の上の少女』しか知らなかった。詩の深さと重さに打たれている。    

5月30日(土)

霊長類学者の河合雅雄さんは、150匹のサルの群れの1匹1匹に名前をつけた。個性を認める最良の方法だという。高崎山自然動物園で生まれたサルの赤ちゃんにシャーロットと名付けたのは可愛くていいと私は思う。

5月29日(金)

追い込み漁でつかまえたイルカは日本の水族館で入手できないことになった。イルカであろうとなんであろうと動物にショーをさせるのは好きではないから残念に思わない。でも漁の仕方に禁止令がおよぶのはおかしい。

5月28日(木)

2クラス/3時間つづけて授業をすると、最近はもう何もしたくない。前はそれからパソコンに向かって何かを書くのが当たり前だったのに。でも2クラス全員との食事という稀有な時間は光り輝く大きな贈り物だった。

5月27日(水)

カズオ・イシグロの最新作を課題としているが、以前、『夜想曲』から短編の冒頭を新宿のクラスで取り組んだ。でも、なぜ他のクラスではしなかったのか、どうしても思い出せない。きっと私にありがちな気まぐれ。

5月26日(火)
全国1785の教育委員会のうち、300近くがすでに新教育長の制度を採り入れていた。なんの抵抗も反対の声もなく、個性よりも組織を選んだ。60年ぶりの改定が、静かにするすると決まってしまうのがこわい。

5月25日(月)

出窓で育っている小さなオリーブの木が、このところ元気を取り戻している。肥料がよかったのかも知れない。尖った先にポツンと玉を光らせている葉が沢山あるので嬉しく、次々と捜す。それこそ透き通ったオリーブ油。

5月24日(日)

山海塾の新作『海の賑わい 陸の静寂ーめぐり』を世田谷で。天児牛大の登場場面も多かったけれど、あの張り詰めた空気はなく緩やかな感じで、こちらが見慣れたからだろうかと思いつつ、それだけに心地よい時間だった。

5月23日(土)

ここに書くのは一日のうちの千分の一ほどの断片で、その日にあった一番大切なことは、むしろ書かない。とはいえ大切な断片のなんと多いことか。届けてくださった煮豆はおいしくて食べ過ぎたし電話で長話もしたし。

5月22日(金)

グルジア語と、つい言いたくなるジョージア語。時間的に講座に出られなくなったのは残念だけれど、時々テキストを開く。でも散発的なやり方ではすぐ忘れるので、英語で書かれたテキストを一冊完読しよう、今年は。

5月21日(木)

日が長くなり午後6時にはまだ明るい。7時半に電話があって50分にバスで銀座四丁目に着き、三越新館の箱根暁庵でざる蕎麦と天麩羅を頼み、話題があれこれあるのを次の日を考えて切り上げ、またバスで帰る。

5月20日(水)

朝5時頃ベッドの中で新聞を読む。その途中でふっと眠りこんで、それまで読んでいた記事や文章の続きを自分で作っていることがある。もちろん事実と違い、後で新聞を読み直すけれど、私の妄想の方が面白いと思う。

5月19日(火)

臥牙丸が日馬富士に勝って初めての金星!200キロの身体から嬉しさと湯気を溢れさせ、インタビューでは次々と言葉が出てきて止まらず、「うー」としか言わない他の力士と大違い。きっとジョージア中で話題に。

5月18日(月)

好きな女優ジュディ・デンチ主演の『あなたを抱きしめる日まで』をやっとみる。昨年公開された英映画。原題は実話通りの主人公の名前『フィロミナ』で、ケルティック・ハープが印象深く登場した。宗教、教会、人間。

5月17日(日)

最近の名言。「かやん、メガネ拭きながら身の上話をして、バーテンダーみたいだね」。乗った駅について章枝さんが電車の中で思い出を話していたら、隣の席の息子にポツンと言われたという。貴司くん、素敵な詩人ね。

5月16日(土)

ローマでのマスターズで錦織圭は準々決勝でジョコビッチに敗れた。でも1セットとったのは見事。このまま上がっていって全仏、ではあまりに過密スケジュールだから、8強で体力を温存し、ローランギャロスでね!

5月15日(金)

春野菜でラタトゥイユをつくる。タマネギ、ニンジン、パプリカ、ナス、長ネギがわが家流。トマトをいれるとおいしいのだけれど、なぜか濁るので避けてしまう。冷たくして、薄いパンをカリカリに焼いて添える。

5月14日(木)
クラスがあることで私は支えられている。ごくわずかずつしか伝えれらないけれど、翻訳することで得られるものが確実にあり、それを一緒に求めていきたい。一方で、翻訳は趣味となりうるかという命題をまとめつつ。

5月13日(水)
ぐでたま名言集。「しがらみが多い~」「明日から本気出す・・・」「順位とかどーでもいい」「あ~だりぃ~」「見んなよ」「甘やかされて生きていきたい」・・・絵といっしょでないと伝わらない言葉がこのほかに沢山。

5月12日(火)
火野正平の「こころ旅」、今日は築地、月島という予告に夕方の30分編を見る。なんと浜離宮庭園の近くからわが仕事場の窓の下を通り行き先がわが家の横の荒川の土手。Mと歌っていた処で正平さんが手紙を読んだ。

5月11日(月)
池袋のリブロが閉店する。文化のコアがまた一つ消えていく。自分でも最近はアマゾンでばかり買っているのだから大きな口はきけないけれど、寂しい。駅前に書店があること、古書店が沢山あることは日本の文化遺産。

5月10日(日)
錦織圭がマドリード・オープンの準決勝でアンディ・マリーに敗れた。朝3時に起きてみていたので、今日は眠い。あとで再放送でみるのはいやで、ライブでやっているものは必ずその時間にみる決勝はナダルとマリー。

5月9日(土)
近所の一人暮らしの方たちが、緊急時に警備会社に通知できるシステムを取り付けている。まだ不慣れで、うっかり触って救急車がきたとか、外から帰ったらテープの声で「お帰りなさい」と言われて飛び上がったとか。

5月8日(金)
数日前はどうしてあんなに元気だったのだろう。どんどん歩けるような気がした。一転、また歩けなくなってしまった。見たいTV番組があって睡眠時間をけずったからかも知れない。また挽回しなくては。nyに行きたい。

5月7日(木)
春はクラス会が幾つもある。でもまったく行っていない。みんなシニアになって集まるのがウイークデイの昼間が多く、そうすると予定と重なって参加できない。私と会いたいと思う人も多くないだろうから、いいけど。

5月6日(水祝)
気になって取って置いた憲法についての記事、論、コメントなどをまとめて読む。島田雅彦の「理想でも遺物でもない現実的指針」がきっぱり言い切っていていい。とにかく戦争に加担せず、原発のゴミを残さないこと。

5月3~5日(日、月、火=連休)

歩く計画の三日間。三鷹の姉と食事(自分の年齢を考える)。トリフォニーで合唱音楽の新作を聴く(新実徳英『黙礼スル第2番』は胸に響いた。ピアノが魅力的)。近美で『片岡珠子展』(迫力の面構え)。公文書館で『ケネディ遺作展』(1963年は特別な年だった)。六本木の森美術館に行ったものの入り口の行列を見て、そのまま帰る。ワンコインバスでゆっくりと赤坂辺りの裏通りを眺めながら赤坂見附駅まで。銀座に出てバスで勝どきに戻ってもまだ昼前だったので読みかけの本をいそいそと開く(歩く計画はここで挫折)。

5月2日(土)

忌野清志郎の命日で「甲州街道はもう秋なのさ」を聴く。荒井由美とか村上春樹とか多和田葉子とか、作品に中央線沿線の香りがする時、ふと懐かしく、日本の何処かに故郷を持つ人はこういう気持ちになるのかと思う。

5月1日(金)

サウスダコタ州に住むアメリカ先住民の少年が病床で夢を口にした。「いちど海を、この目で見たい」。そして海を見た。「海はどこまでも広がって、空につながるんだ」。輝くように微笑んで、18歳の少年はこの世を去った。(S・スロウィ『ハロルドの願い』から)