98字日記ー2023年4月

4月30日(日)
約100曲の『永遠の戦後歌謡全集』広告で、菅原都々子さんの「月がとっても青いから」が3曲目。夜遅く家に帰るとき口ずさんだ・・手を繋いでいた幼い娘がその人の孫と結婚したなんて今も不思議に思う。95歳でお元気。

4月29日(土・休)
朝8時半から新宿で映画なんて酔狂だけれど始まる2分前に滑りこみ、コベリゼ監督『ジョージア、白い橋のカフェで逢いましょう』をみる。クタイシの街、沢山の足元、渦巻く川、温かで個性的な人達、夢のようで現実。2時間半。

4月28日(金)
『エドワード・ゴーリーを巡る旅』展をみる。「不幸な子供」など200点以上の原画はペンとインクで小さな紙に感動的に細かく描かれていた。こよなく変なゴーリーの本物性! 松濤美術館へ美礼と一緒に行けてよかった。

4月27日(木)
20世紀初めに英米などで使われていた軽装二輪馬車(ドッグカート)が登場する米短編小説を課題としていて、ふいに満州での乗り物を思い出した。馬がひくのはマーチョ(馬車)、人がひくのはヤンチョ(洋車、人力車)。

4月26日(水)
どれがいいと言えるほど飲み比べもしていないけれど、ノンアルコールビールの進展ぶりは凄い。度数0.00パーセントは当たり前、味はこよなくビール。キリンのグリーンズフリーやサントリーの各種オールフリーが好き。

4月25日(火)
どんどん上がる物価。朝のブロッコリーをセールの時に買っていたけれど新鮮さが命。98円から198円まで行ったり来たりするので、もう考えるのはやめて欲しければ買うことにする。これ、逆ギレ。芽花椰菜って書くのね。

4月24日(月)
昨日の区長・区議会議員選挙の投票率ーー国政選挙よりも低いのは地元の方が見えにくいゆえのいつものこと。区62カ所の投票場で唯一50%を超えたのは我が清新一小で56.59%。なかでも女性だけでみるとほぼ58%だった。

4月23日(日)
近美の「重要文化財の秘密」へ。上村松園『母子』や原田直次郎『騎竜観音』がよかったし大観『生々流転』は何箇所かだけ再見。4Fでオキーフ『・・ペダーナル山』にゆっくり向き合えた。由一『鮭』の布製をゲット。

4月22日(土)
区から「新型コロナウイルス感染症ワクチン無料接種券」6回目分が届いている。12月に受けた5回目は場所と日が設定されていたのが、今回は自分で医療機関も日も選ぶ。都では連日約1500人が新規感染していて20%が30代。

4月21日(金)
濃いピンク、白、淡い赤紫の躑躅が一斉に咲きはじめた。灌木も背の高い木も緑が艶やかで、歩いていて、つい足を止める。目の届く奥まで緑に囲まれた小径の手前が好きな場所。インド人の女性が自転車で通り過ぎていく。

4月20日(木)
区長、区議会議員の選挙公報が配られ各所で演説が始まった。地元の数人は知っていても何年も会っていないし、マスクで顔が分からないはずと目を伏せて通ると名前を呼ばれたりする。一人にしか投票できないのは残念。

4月19日(水)
米の美術収集家ジョー・プライスさんが亡くなった。若冲を中心に特に江戸絵画を守ってくれてありがとうございました。夫人は日本の方で大きな支えだったのでしょう。最近、出光が200点近くを買い取ったのも嬉しかった。

4月18日(火)
家の本棚の前に立って少し古い日本語を選んで読む。アナトール・フランス『少年少女』/三好達治訳ーー「カトリーヌは花が大好きでした。彼女はまだ、褐色の紐附頭巾で美しい髪をつつんだ、ほんの頑是ない小娘です」。

4月17日(月)
夜、1時間ほど万里さんと電話で話していて、お互いに60代をもったいなかったと思っていることがわかった。もちろん今にして思えばということ。まだ身体的に踏ん張りがきいて、マチュピチュにでも行かれたのに・・・

4月16日(日)
いつもと同じ今朝の朝食。白湯、マグカップでコーヒー、アボカドは白ゴマをかけて醤油をたらす、胡瓜も茹で卵も八つ切り、イチゴ5粒、イングリッシュマフィンとブルーチーズ。しばらくして野菜ジュース、ヨーグルト。

4月15日(土)
4月は交通機関に変更がある月らしい。土曜日に横浜に行くのに乗っていたバスの時間が1時間も前にずれた。ルートを変えるとメトロ代が400円高くなる。タクシーもぐんと高くなったし、社会の動きが侘しくなってつまらない。

4月14日(金)
東京では新型コロナの新規感染者が昨日も1千人を超えた。そういう数を見ながら、マスクを外そうという動きが大きい。どういうことか。この3年間の人口に対する感染率を朝日が出した。東京で概ね20%という数字、どう見る?

4月13日(木)
ジョージア語の添削が戻り、ガラクティオン・タビゼの短い詩の訳をスレセリ先生がとても褒めてくださるのが不思議。ただそのまま日本語にしただけなのに。もしかすると日本語は並べるだけで詩になるのかもしれない。

4月12日(水)
立高の新しい同窓会名簿が届いた。大判で600ページもある、その分厚い始めの方に9期。最新が74期なのだから遥々きた道は長い。同期の三分の一が物故者というのも辛く、仲のよかった人達の名前もある。トシちゃんも。

4月11日(火)
晴れているし寒くも暑くもなく、出かけたい! と思いつつ今週はこれから4クラスあり、添削も30人ほど。家でがんばる。BGM はビリー・ジョエルのアルバム『The Stranger 』。とくに理由もなく。いいプレイヤーが欲しい。

4月10日(月)
昨日は、くすのきクラブの昼食会の後に習志野まで往復して身体は疲労の塊になった。今日は回復のためのグータラ日。でも胸の内はいろいろな人への思いでグシャグシャ日。峯岸昭さんの句集『地続き』で文子さんを偲ぶ。

4月9日(日)
田久保千秋さんの75歳で永眠した顔に話しかけた。寂しい。ご家族葬の前3日間の行かれる時間に伺い、眠っている傍で夫人とご長男とゆっくり話す別れ方は心に染みた。仕事抜きで無駄話のできた大事な男友達の一人・・・

4月8日(土)
大谷翔平が wbc の対米決勝戦直前にチームに語りかけた円陣スピーチは、今も繰り返しネットに流れる。「憧れるのはやめましょう」は “admire” を使って格調高く英訳されているのに、主語が違うとバカなコメントもあった。

4月7日(金)
髪、歯、血圧と3箇所の手当てに巡り歩く一日で、雨の到来を心配しながらも傘を開くことなく夕方5時に帰り、8時過ぎまで手紙を読んだりしながら椅子に埋もれていた。心臓に不安があるそうで薬が新しくなりーー飲まなきゃ。

4月6日(木)
メトロの車内で9cmくらいの黒のピンヒールのひとを見た。足の甲がほぼ垂直。足首がしまった細いパンツで、とても綺麗だった。懐かしかったけれど、どんなに疲れるかも知っている。昔はつまらないオシャレをしていた。

4月5日(水)
朝、横浜に向かう時、どこかでの人身事故で京浜急行がストップし、泉岳寺からの乗換えに得意の判断ミスを連発して結局10分遅刻。駅のアナウンスも不親切だった。どう振替輸送になるのか緊急時の勉強をしてほしい。

4月4日(火)
唐澤さんや本好きな友人たちが井筒俊彦『ロシア的人間』を読み直しているという。古い版しかないので新しい解説入りの中公文庫を買う。この膨大なロシア文学を著者は露語を独学して読んだと知った時の驚きは今も新鮮。

4月3日(月)
今週のクラシック倶楽部はほとんど聴き(見)覚えのあるものの、今朝の尾崎宗吉はアンコールしたかった。渡辺玲子と古川展生の演奏でのバイオリンソナタや「夜の歌」。30歳で戦死した作曲家を忘れることはならない。

4月2日(日)
疲れたときに元気をくれるライオンがいる。50年ほど前に麻布のどこかの輸入雑貨の店で見つけた、身長3.5センチの立っているライオン。北欧の人の手編みといわれたが、来ている紫色のガウンにしか、その感じはない。

4月1日(土)
「ビル・ナイが歌う “ナナカマドの木  Rowan Tree” は19世紀のスコットランド民謡で、カズオ・イシグロの奥さん、ローナが好きな歌なのだという。ナナカマドの薪は長持ちするため、7回、ご飯が炊けるためにその名がついた。秋には赤い実をつける。」(映画『生きる LIVING 』パンフレット 川本三郎『REVIEW』から抜粋)