98字日記ー2018年8月

8月31日(金)
最近は5時に目が覚めない。今日も始まってからピアノ高橋アキ、朗読つるの剛士で『ぞうのババール』。プーランクの曲がいい。(そうだ、忌野清志郎の朗読があるはず。)「こころ旅」はブラジルからの手紙で鳥取。

8月30日(木)
さくらももこさんが53歳で亡くなり、6月以降公私ともに訃報が続いた。ちびまる子ちゃんも「大家さん」も私がこよなく好きなのは、良い棘と芯があるから。ほのぼのとした温かさを求めるなら『ぼのぼの』がいる。

8月29日(水)
『大家さんと僕』の大家さんが今月、亡くなられたと作者の矢部太郎さんが公表した。戦前、戦中、戦後と生きてきた一人の女の人の話を聞き、描く最高の人を神様は、そっと横に置いてくれた。天の配剤だった。

8月28日(火)
月に一度、4人が座れるスペースを自宅に作る日。床はすべてフローリング仕様で掃除は楽なはずだけれど、最近あちこちが「むら」になっている。一度プロの手を借りなくては。でも考えているうちに面倒になる。

8月27日(月)
火野正平の「日本縦断 こころ旅」を久し振りにBSでみる。ディレクターカットの45分で旧大夕張市を訪ねる回。ダムの底に沈む街はすでに一面の草原となっていたが、心の手紙にあった水仙が数本、花をつけていた。

8月26日(日)
マルエツから外に一歩出ると、熱さでサングラスがふわっと曇った。37度あったようだ。バス停に立っているだけで、バスが来るまでの5分ほどで汗が額を伝う。乗り物か建物の中を縫うように外を避けて移動した。

8月25日(土)
アジア大会男子マラソンは、ジャカルタの街並みを画面で追った。高層ビルが沢山あって私の知っている街とは雰囲気がすっかり変わっていた。最後に訪れたのは40年も前のことなのだから。随所の緑にほっとする。

8月24日(金)
藤田嗣治展図録にフィリス・バーンバウムの解説ページがあり、彼女の本が専門家にも読まれていることが分かった。良い文章だったとメールすると、展覧会に行きたいけれど飛行機代が高すぎて、と返事があった。

8月23日(木)
課題テーマのクレヨラ・クレヨン64色セットを50年も大切に持ち夫の塾友達に見せて下さった横浜の岸さんの奥様、30年前にお嬢さんの幼い字で名前が書き込まれたのを持って来てくれた新宿の瀬野さん。嬉しい。

8月22日(水)
中村裕さんにはお会いしたことがある。1927年生れで57歳の若さで亡くなった。大分で整形外科医として身障者に尽くされパラリンピック開催に力となった、その生き方をNHKがドラマ化し、今夜放映。胸熱くみる。

8月21日(火)
高校野球は、男の子達を育てるのに、いかにお金や精力が惜しみなく使われるか分かるので関心を深めなかったけれど、今年の準優勝校・金足農は9人全員が地元の秋田出身であることだけでも応援しがいがあった。

8月20日(月)
昨日は都美のあと、間もなくおわる『縄文展』をみに東博へ。でも平成館に着くまでに疲れて、見たかった火焔型土器と幾つかの土偶だけにする。縄文時代が1万2千年以上続いていたなんて、どう実感するの?

8月19日(日)
都美術館に行く。藤田嗣治展。『ビストロ』『機械の時代』など好きな作品、初めてみる『バラ』(1922)と最後の作品『十字架』はずっとみていたい。68年の追悼展と君代夫人と過ごした1週間をあれこれと想う。

8月18日(土)
横浜土曜クラスの帰り、メトロで初経験。三十歳位の男性が、立っている私にふいに顔を寄せて「席を探しましょうか」と言う。次で降りるので断り、「心配して下さってありがとうございました」とお礼を言った。

8月17日(金)
なぜかキーウィーとアボカドを間違える。頭と舌では明白に分かっているのに、スーパーでは手が違う方を取る。このところ朝食にトマトとキーウィーにカッテージチーズを添えるのが定番なのに、明日はアボカド。

8月16日(木)
続き。尾畠さんは神様が遣わした人。法律だから見つけた子を渡すようにと迫る警官に、母親か祖父に直接、と言い切った。見つかった我が子が乗せられた救急車の後を母親が泣いて追うのを2年前に見ているから。

8月15日(水)
山口県で3日間行方不明だった2歳の男の子を山中で見つけたのは大分県の78歳のボランティア尾畠春夫さん。人の知と声と力を感じる。警察が数人付いて母親が名を呼びかけながら探すといのにと私は思っていた。

8月14日(火)
テンギズ・アブラゼ監督の三部作を岩波ホールで一気にみる。『祈り』はジョージアの荘厳な岩山と人を墨絵で描いたような画面とプシャヴェラの詩に小島先生の訳が最高。『希望の樹』は辛い。『懺悔』は三度目。

8月13日(月)
「高山流水」が妙なる音楽の例えだと分かっていなかった。伯牙が山を想って琴を弾くと峨峨山が浮かび水を想って弾けば清らかな水が流れた。そう語ったのが鍾子期だったので友を知音という。あゝ、勉強した!

8月12日(日)
今日まで辰巳国際水泳場でパンパシがあり、TVは連夜、日本選手の活躍だけを伝え、私も時にはガンバレ!と思うけれど、場所は車で10分、高校生の池江璃花子は小岩の区立小中学校出身で、近所の運動会のよう。

8月11日(土・祝)
さらっと読み流していた『ストーナー』(ジョン・ウィリアズム著 東江一紀訳)をきちんと読み直す。(最近この読み方が多くなり反省。)この世を去る寸前まで取り組んでいた訳者に敬意を表してページを繰る。

8月10日(金)
久しぶりに時間に追われない数日が取れそうで、今日はただゆっくりと身の回りの雑事を片付け、夕方になってから勝どきに行き、隅田川とビル群の上に被さる紅色に染まった雲が濃い藍色の空に溶け込むのをみる。

8月9日(木)

戦争の記憶の中で、よく浮かぶのは自分と同じような年で浮浪児と呼ばれていた子どもたちのこと。朝刊で二人の戦争孤児の語りを読み、こういう声をもっともっと伝えなくては、と思う。死んだ子達も忘れずに。

8月8日(水)
課題のエッセイがきっかけで、クレヨンなどで「肌色」という名称が消えた件を追い、それを受けて焦茶や薄茶もある「肌色」だけを8種類、12種類と集めたセットが伊独米などで作られていると知る。最高の発想。

8月7日(火)
台風来訪で今日は涼しい!もし江戸川や荒川が氾濫したら・・ハザードマップによると、この清新町から南部が浸水しない場所として区全体の防災拠点であり隣の一小と一中が待避施設になっている。そんなに安全?

8月6日(月)
復刊ドットコムのメルマガで、集中的にミステリとSFの復刊を企画していると読む。クロフツに始まり、ルース・レンデルやクレイグ・ライス、ハインラインの名前もあり、愛読書がいつの間にか古典になっていた。

8月5日(日)
だらけた日曜日で、アボカドに水をやりに出かけた時、メトロで席を譲ってくれた人に「ありがとうございます」と言ったのが1日で口にした唯一の言葉。激暑の昼間のあとに夕方の風が涼しく、夜空に火星を探す。

8月4日(土)
わが住処の周辺は今日、沸き返っている。絢爛たる江戸川の花火、葉加瀬太郎の臨海公園フェスティバル、緑道公園では盆踊り。でも横浜から直帰して冷房のきいた部屋で一人静かに珈琲を飲む穏やかさーー有難う。

8月3日(金)
熱風にあたる時間を短縮するため、近くのバス停から1日に1本だけのバスで都営両国駅前まで行き、江戸東京博物館で涼む。馴染みの常設展だけなので長命寺の桜餅を買ってメトロ大江戸線で勝どきへ。明日の準備。

8月2日(木)
36度の空気の中にいるには体力と呼吸力が必要だと実感する毎日で今日は普段使わない日傘をさしたけれど、日光に直接当たらないだけで熱気は足元の舗装道路から跳ね返って襲いかかってくる。飲み水の携帯必須。

8月1日(水)
「人はときとして、抱え込んだ悲しみやつらさを音楽に付着させ、自分自身がその重みでばらばらになってしまうのを防ごうとする。音楽にはそういう実用の機能がそなわっている。」(村上春樹『おおきなかぶ、むずかしいアボカド』から)