98字日記ー2017年11月

11月30日(木)
毎年、12月になると、ああ、と思う。なんとなく急かされる空気に今年中の日にちを数えて、ああ、と思う。明日から12月。年々変わりばえしない生活なのに何か12月は特別で、まとめなくては、という気になる。

11月29日(水)
課題との関連でドストエフスキー『罪と罰』の冒頭と最後を読み直す。名だたるロシア文学者達の訳書が数種類ある。ドストエフスキーの最初の出版も翻訳でバルザック『ウジェニー・グランデ』だった。世界は回る。

11月28日(火)
銀杏の黄葉がピークで、両側から葉が散ってくる並木道では夢幻の中にいるよう。丸の内から皇居まで伸びる銀杏並木のように遠くから全容を眺めるのもいい。街の中や自宅近くのあちこちでも黄葉と紅葉と緑葉の幻世界。

11月27日(月)
シャガールは、ごく初期の作品『のけぞる男』(1919)がよかった。初めてみる作品で、その後のくにゃっとしなるポーズの原点のようだった。立体作品が数多く紹介されたのが今回の特徴だけれど、やっぱり絵。色。

11月26日(日)
三鷹で11時半の開店を待って「福松」で姉にお昼をご馳走になる。別れてJRの快速にゆっくりと座って東京まで。丸の内北口改札口横のステーション・ギャラリーで『シャガール展』。バスで勝どきへ。まだ3時だった。

11月25日(土)
昔の写真や手紙が捨てられない。AWを去る時に編集部員達が書いてくれたアルバムを読み直してしまった。一人ひとり、家族のように思った人たちに今でも同じ気持ちを抱いている。どうか皆、幸せでいますように。

11月24日(金)
今年の高島屋チャリティ・サンタはアドベントカレンダーを持つ。20年ほど前に始まって以来、レイモンド・ブリッグスの大ファンとして毎年求めてきたが、入手にはらはらする。一昨日東京にいたMが確保してくれた。

11月23日(木・祝)
小林研一郎指揮のドヴォルザーク2曲。区の大ホールが満員だった。『チェロ協奏曲』は水野優也。1998年生まれのチェリストがコバケンの熱い指揮のもとに清冽な音を創る。前から4番目の席でMと息吹まで聴きとる。

11月22日(水)
ブーケは黄色とピンクの取合せがうれしい。言葉をもらうのもうれしい。少し照れながら70代最後の年を歩き出す。何か違う気がしている。何か出来る気がしている。生きていて80になったら落ち着く、その前に。

11月21日(火)
ビーカーに入れた水に根を浸したアボカドが、また茎を増やして3本になった。新しい茎の先端にも小さな葉が3枚見える。ガラス窓越しの光だけでも当たるようにブラインドの桟は少し開けて、そのそばに置いている。

11月20日(月)
ロートレックの洗練された線、色、濃淡は心に沁みるが、ボナールのリトグラフ『小さな洗濯女』の哀感は格別。一緒に行ったひとはロートレックの大判の暦、Tシャツ、この絵葉書一枚を求めていた。センスの良さ!!

11月19日(日)
パリ・グラフィック展を三菱一号館美術館でみる。ロートレックを中心にボナール、ドニ、ヴュイヤールなどのポスターや版画はどれも19世紀末のパリの香いっぱいだったが、どきっとするのは、やっぱりロートレック。

11月18日(土)
土曜日の横浜行きは周囲が休日ムードでいい。都営線の直行でなく泉岳寺で京急の始発に乗る。今日は車両全体が京急のCM一色で、広告はかわいいキャラクターだけ。中吊には「人を旅好きに変える沿線。」とあった。

11月17日(金)
相変わらず『パターソン』中の女の子が詩を読む場面を繰り返しスマホの画面でみている。字幕はなく、正確に聴き取れない単語があって、それも気になっている。ところで原本通り『パタソン』ではだめだったかしら。

11月16日(木)
いま「アメトーク」という番組をみながら書いている。よく知らない番組だけれど、今日は読書芸人として真っ当に書店と本に向き合う四人がいい。光浦靖子、又吉直樹、カズレーザー、東野幸治。ああ、読みたい。

11月15日(水)
ゲームに夢中になる子の気持ちはよく分かる。私自身がこれまでに何千時間、ゲームやパズルやカード遊びに費やしてきたことか。今でも何か考えるときに手はロジパラをやっていて、結局は考えていなかったりする。

11月14日(火)
『シンゴジラ』を地上波TVでみた。咀嚼できなくてMに聞く。やたらと早口の官僚や狼狽える閣僚達、実名で登場する街々の破壊などのそれぞれの意味が面白いという。凍結されたゴジラが怖い。現実にならないでね。

11月13日(月)
ジョージア語のクラスに出て、基本を忘れていることを実感する。基本には絶えず立ち戻って確認していないと身に付かないのが語学だし、語学といわず、習うということの土台にあるのが反復だなあとしみじみ思う。

11月12日(日)
マルエツが店内をリフォームして気持ちよくなった。床が滑らかな木目調でカートが押しやすく、品物も選びやすい。今は家に届けてもらうのと店で買うのと半々くらいで、日々の生活の術が楽になるのはありがたい。

11月11日(土)
坂東玉三郎と松任谷由実が対談の中で水の話をしていた。玉三郎は手が水に晒されている時にアイデアが閃くことがあると言い、およそ400曲に上るユーミンの作詞の中にはサンズイの言葉が目立つとか。日本語の妙趣。

11月10日(金)
今日はぼーっと考える日。と、決めて一日中、こぼれ落ちていた色々を拾って頭の中でつなぎ合わせる。日が暮れて東京タワーが華やかに煌めく。下から濃い青、薄い青、金色のトップ。ダイヤモンド・ベールの日だ。

11月9日(木)
昼過ぎの地下鉄は空いていて、私は優先席でお茶のペットボトルを取り出したが蓋が開かない。すると男の人が向かい側の席を立ってきて、やってくれたがだめ。次に近くの女の人がハンカチを差し出してくれてキリッと開いた。(シニアのお二人、ありがとうございました。)

11月8日(水)
加木令子さんから最後に受け取った葉書を読み直す。術後の痛みがとれたら翻訳塾に戻りたい、とある。15年にわたって月に二度は会っていても個人的なことはほとんど知らない。ただ笑顔と物腰と感性と知性と・・・

11月7日(火)
横浜クラスの加木令子さんが亡くなられた。先生と呼んでもらう私が師と仰いだ方。享年83歳。70代で翻訳のクラスに入られ、手書きで始めて2年後にはパソコンで原稿を仕上げ、誰よりも訳の内容に進歩を示された。

11月6日(月)
古今亭志ん朝は同い年だった。いなせでハンサム、古めかしい落語が多い中でリズムがあって好きだった。今日の番組で24歳で真打になったとき『火焔太鼓』で始め4日目に『明烏』だったと知る。63歳没は早過ぎた。

11月5日(日)
高橋悠治とジュリア・スーのピアノ演奏会。初めて聴く小品が多く、面白かった(我が感想としては最高の賛辞)。アール・ブラウンの図形楽譜による『夏の組曲』はカキカキしていたし。三軒茶屋のサロン・テッセラで。

11月4日(土)
翻訳塾のおひとりからのロシア土産のチョコレートをみんなでロビーで。包み紙のロシア文字はオーレンカと読めたものの、すっかり忘れていた、チェーホフの『可愛いひと』だとは。ご無沙汰です、ロシア文学に。

11月3日(金)
3連休とは知らなかった。明日、横浜のクラスがあるし、3日ほどでおよそ50人の長文の添削をする時間を確保するのに気を取られていた。文化の日という気もしない。新聞紙面が叙勲の人名で埋められるのが文化?

11月2日(木)
銀座・和光のウインドウに、壁にかかった形でボルサリーノが整然と並んでいた。夏のパナマもいいけれどフェルトは色が綺麗。深い黒、濃い緑とシック!バスに乗って本を開いたら小さな黄葉が迷いこんでいた。秋。

11月1日(水)
「あした浜辺を さまよえば 昔のことぞ 忍ばるる 風の音よ 雲のさまよ 寄する波も かいの色も/ゆうべ浜辺を もとおれば 昔の人ぞ  忍ばるる 寄する波よ かえす波よ 月の色も 星のかげも」(林古渓作詞『浜辺の歌』)