98字日記ー2012年12月

12月31日(月)

これから来年を迎える行事で波除神社に行く。除夜の鐘が鳴ると同時に門があき、竹に刺した稲穂と干支を紙で折ったものを一人ずついただき、茅の輪をくぐる。お参りの後は若い人達と築地場外の寿司屋で軽くつまむ。

12月30日(日)

原発の新増設を認めると舵を切った自民党、沖縄への修学旅行でオスプレイに格好いいと歓声をあげた都立高校生たち、大地震から間もなく2年経つのにまだ瓦礫に覆われた東日本被災地・・この荷物を持って来年へ。

12月29日(土)

また方向音痴の日。新宿NSビル地下のライオンに着けず、45分の迷走のあと仕事場まで戻りトニー・ベネット『Duets II』を聴く。85歳の声は艶やかで、レディ・ガガで始まりマライア・キャリーまでの17人と。

12月28日(金)

駅構内の細い通路脇で男性が両膝をつき頭を床に押し当てている・・と、立ち上がり、また蹲った。サンダルを脱ぎ捨てた浅黒い肌の若者で、お祈りの時間だったのだろう。通る人たちは温かい眼差しを向けていた。

12月27日(木) 

今年最後の「翻訳塾」2クラスを新宿で終える。コーヒーを飲みたいと思いつつ間違ったエレベーターに乗って、そのまま帰ってきてしまう。いや、帰らないで、いつの間にか仕事場に足を向けていて。つまらないと思う。

12月26日(水)

バスで隣に座ったひとが「95です」と話しかけてきた。「息子も嫁も何もしてくれないから全部自分でやります」。だからお元気なのですねと私は言う。煮物は出来合いを家で煮直すと無駄がなくておいしいと教えられた。

12月25日(火) 

大根、長ネギ、人参、里芋、キャベツ、小松菜、ブロッコリー・・・泥をざっと落とした新鮮そのものの野菜たちをいただき、でも、青虫がいるかも知れませんからと言われ・・・どきっ!・・・とする自分が情けない。

12月24日(月)

壁全面の本棚の小さなボックス四つ分だけ、本の前をクリスマス・スペースとする。小ぶりの額に入った素敵な刺繍のスノーマン、ツリー、届いたカードの数々、金色のオーナメントたち、ベネチアングラスの聖歌隊。

12月23日(日)

田畑の中などで1軒の家の周りを囲む形の整った森、いわゆる屋敷林。防風林だが家に日差しを取り入れるために部分的に枝葉を梳いてレースのようにするという。東京のマンション暮らしの対極にあるものを憧れる。

12月22日(土)

漫画やアニメが幾つも40年、50年とシリーズとして続いていることが素晴らしい。日本の若者が戦争に巻きこまれないで、60年以上、戦争という名で人を殺さないでこられたからだ。国防軍なんて聞きたくない言葉。

12月21日(金)

Google の昨日のロゴはグリム童話出版200周年。赤ずきんちゃんと毛糸で長いマフラーを編んでいたおばあちゃんが狼に飲み込まれ、マフラーの端がその口から出ていて二人は引っ張りだされるというお話。めでたし。

12月20日(木) 

アンドレ・ケルテスの写真集『On Reading』が手元に見つからず、みすずの図書目録の表紙にある1枚を眺める。この子どもたちの脚の部分だけの写真もあり、それがケルテスの作品だとすぐに分かったのが私の自慢。

12月19日(水)

高得点ではなかったが I LOVE YOU の訳で私が好きだったのは、若林コトバスターの「コンビニに寄るけれどなにか要るものある?」だった。夏目漱石の「月が綺麗だね」は訳の幅を広げたと言われすぎて陳腐になった。

12月18日(火) 

明け方近い3時過ぎにふと起きて電気がわりにテレビをつけたら、一番好きなジェレミー・アボットが滑っていた。どこかのフィギュアスケート大会の一部だったのか。目を開けて夢を見ているような美しい束の間だった。

12月17日(月) 

サンドラ・ブロック主演の『ものすごくうるさくて、ありえないほど近い』と『あなたが寝てる間に・・・』の間にジェームス・ディーン、エリザベス・テイラーの『ジャイアンツ』を、家で、ながら観する。Tired.

12月16日(日)

衆院選と都知事選の投開票が今日になるとは、各種のイベント主催者は露にも思わず準備をしてきたはず。沢山のことが重なり松井やより先輩の没後10年の会も欠席し、ただ胸に刻む。総選挙の結果は暗澹たるもの。

12月15日(土)

本のページを乱暴にめくる人は許せない。本屋でカフェで電車でロビーで、隣の人にぱさっ、ぱさっと紙の音を立てられると席を移したくなる。カルチャーの控え室で席を立ちながら見ると、和服が素敵な女性だった。

12月14日(金)

自分にささやかでも力があったら悲しさや怒りよりも、寂しさに耐えている人の傍に座っていたい。世の中に寂しい人がいると考えるとつらい。東日本大震災で家族を亡くした人たち、とくに子どもたちを忘れられない。

 12月13日(木) 

バス停で「寒くなりましたね」というひと言で束の間のお付き合いが始まる。「よく本を読んでおられますね」と言われる。ああ、そうだなあと思う。待ち時間が五分あると本を広げてしまうのが急に恥ずかしくなった。

12月12日(水) 

ちょっと、と呼び止められてお玄関先で甘酒をいただく。時間が気になりながら・・・とはいえ、生姜がほんのりときいた温かい米粒に疲れが飛んで、その後しゃっきりとなった。ただせかせかしているのはやめよう。

12月11日(火) 

採血が上手な看護師さんに出会うと、ほっとする。私の腕は血管が浮き出ていなくて(太る前から)、ときには責められたり叱られたりするのだ。黙ってすっと終わらせてくれるひとは、まさにプロの鑑と褒め称えます。

12月10日(月) 

クリスマスが好き。宗教が無関係であろうと電気の無駄といわれようと、ツリーやイルミネーションが輝くのが好き。団地の入り口でトナカイが走って嬉しい。豊洲のIHIの前では緑と青と白だけが滝のように溢れていた。

12月9日(日) 

怒濤のごとく続いた音楽会や舞台の時期(私にとっての)が過ぎて、美術展の時期に。埼玉県立美術館のベン・シャーン展も惹かれるけれど昨年の今頃葉山でやっていたのとは違う。あのときに行かなかった悔いは大きい。

12月8日(土) 

海をグルジア語でズグヴァという。これまで知ったいろいろな国の言葉の中で、あの広大な青い水の存在を表すのに、一番ぴったりしていると思う。氷のキヌリも響きが好きだ。文字でいえば水に点も優れものだけれど。

12月7日(金) 

夕方には自宅にいて、ホイジンガ『中世の秋』(堀越孝一訳)の頁を繰り、絵画における光の効果に文学で匹敵するのは直接話法だとどこかにあったと探して、終わりに近いところに見つけたとき、ぐらっ。地震だった。

12月6日(木)

朝、形が美しいのは東京スカイツリーで、夜、ライトアップされて心弾むのは東京タワー。今日17時07分の金色とオレンジ色の東京タワーは裾が夕焼けの中、中間が空色、上が藍色をバックに衝撃的に輝いていた。

12月5日(水)

年に一度の「さとがえる」で矢野顕子から元気をもらい、深夜、同じ年齢の中村勘三郎の訃報をきく。57歳。浅草の平成中村座や新装・歌舞伎座で、型に依りかからず型に息を吹き込んだあの舞台がもうないなんて。

12月4日(火)

ベランダの先に広がる緑の木々の間を小鳥が忙しそうに飛びまわる。黄ばんでいる枝が少し。部屋の中から見ながらアールグレイを飲む。紅茶が一番美味しい温度でないのは承知で熱くいれる。毛糸の手袋を出そうかな。

12月3日(月)

ほとんど8時間、コンピューターに向かっていた。ときには身体を動かさなくてはと思っていても、あっという間に3時間たっていたりする。コーヒーを煎れに立つくらい。花を買ってこよう。そしてもう少しやろう。

12月2日(日) 

会場全体がぴんと静まり返って待つのは、なぜか最高の舞踏の寸前だけだ。三軒茶屋で笠井叡×麿赤児で「第九」×「ハヤサスラヒメ」。26階で椅子に身を委ねビールを飲みながら、180度広がる夜景に想いを重ねる。

12月1日(土)

むかしむかしのこと・・・町の通りを、ひとりのタイコたたきがねりあるき、さけびだしたのです。「ゆこう、どこかにあるはずだ もっとよいくに よいくらし!」(ライナー・チムニク『タイコたたきの夢』、矢川澄子訳から)