98字日記ー2015年4月

4月30日(木)

白いハナミズキが満開で、濃いピンクのツツジがかなり開いてきた。コデマリももうすぐ咲きそう。住処の周辺は緑と花が溢れていて、5月!と樹々が叫んでいるよう。あちこちの花壇の花も愛らしいし、春はいいなあ!

4月29日(水祝)
祝日というのに弱い。なぜか、うまく把握できなくて、明日は月曜日だと思っては、違う、違う、木曜日だから新宿に行く日、と考え直して添削を仕上げる。でも土曜日の横浜を忘れそうになりスケジュール表を確かめる。

4月28日(火)
両手で物を持って運ぶことができるようになったので、久しぶりに月に一回の家での集まり。といっても紅茶をいれるだけ。晴天が続き、ソファとアームチェアにかけるペンドルトンをちょうど全部洗うことができた。

4月27日(月)
アラン・ドロン主演『太陽がいっぱい』の原作者がパトリシア・ハイスミスという米女性作家だと知ったときの、あの驚き。映画『ギリシャに消えた嘘』をみて思い返した。本の邦訳題『殺意の迷宮』の方が合っている。

4月26日(日)
家からいなくなってしまった動物を探し出すことを商売としている人をTVでみる。イヌ、ネコ、オウム、カメなど習性に応じて行動範囲を見定めて探す。1年も前にいなくなったネコも見事、見つけだした。素敵な仕事。

4月25日(土)

明日は区長区議の選挙。告示が1週間前、選挙カーからは名前の連呼しか認められない、なんて真摯な新人が立ちにくい壁がある。だから市区町村議員は多く、近い周辺のお役に立った人が再選される。60年以上変化なし。

4月24日(金)
ミラノ生まれのネックレスには「香水をかけないように」という注意書きがついていた。このところ病院通いのしわよせで、着やすい服を適当に身につけ、おしゃれをしなかったと思い起こす。ミラノの色を楽しもう。

4月23日(木)
和田さんから散々謝られた。わが家の「電気料金督促状」が間違って届き、見てしまったという。全然気にしないから家のポストに、と頼んだら、口座引落しでない分の毎月の請求書だった。滞納していると思ったのね。

4月22日(水)

きのう書いた続きーー99点をもらった私は、その一度だけの結果にすっかり満足して、また、ぱたっと空想にふける少女に戻った。「ケ・セラ・セラ/なるようになるさ/先のことなど  判らない/ケ・セラ・セラ」。

4月21日(火)
高校一年のとき初めて必死で勉強したヒアリングのテストの結果99点が引き出しから出てきた。スケートで右手を骨折して左手で書いたもの。3倍の時間がかかるので範囲を全部暗記した。今みると結構難しい英文。

4月20日(月)

日本列島全体が天候不順の真っ只中にある。雨が降ってきたかと思うと突風で雨粒が斜めに飛び散る。ミラノからフランクフルト、そして羽田、福岡へと飛ぶMは大丈夫かしら。お弁当を買いに寄った銀座も閑散としていた。

4月19日(日)
中学生の山口晃が描いた消防車の見事なこと! 才能は幼くして芽生えていた。水戸芸術館で公開制作中という題材の桐生市も江戸と重なるのを日曜美術館で見た。白いキャンバスに直接、すっと線が描きこまれていくのだ。

4月18日(土)
一人カラオケを7時間することがある女の人に会った。「今日は3時間だったけれど」と言い、私がど忘れ(いつものこと)していたグレンミラー楽団という名前を思い出してくれた。仕事は清掃。バスの中での束の間に。

4月17日(金)
築地「すしざんまい」のカウンターにお礼の席をとり、自分の方がたくさん食べて、そしてレジで青くなった。カードや万札の入ったポーチがない! 忘れたのだ。必死で千円札と硬貨をかき集めてやっと払った。反省!

4月16日(木)

ちょっと疲れると、ひどいことをしてしまう。今日は夕方、チェリーパイとカレーパンとクリームチーズパンと「ぎっしりプルーン&ナッツパン」をコーヒーを飲みながら一気に食べた。体重が減らないのも無理はない。

4月15日(水)

ロードアイランド州プロヴィデンスに住む懐かしい人と昨日の午後を勝どきで過ごし、話したあれこれを今日、思い返している。ここに部屋を借りる時も、彼女とロジャーが住んでいて知っていたから即決したのだった。

4月14日(火)

思いがけなく、それも男性から、勇気をもらったといわれる。手術に迷っていたときに私の手術の話で決心できたと言う。うまくいかない手術だってあるのだけれど・・・今日、三か月ぶりのX線で私の骨は綺麗だった。    

4月13日(月)
寒くて雨降りとなれば蟄居。二カ月以上ごぶさたの美容院もパス。好みのジャーマンポテトをつくって熱いコーヒーを淹れ、翻訳の添削をしながら、乙川優三郎の短編集『トワイライト・シャッフル』を読む。うまいなあ。

4月12日(日)
NYT
紙で衝撃的な写真。ブルガリアが、トルコとの国境に延々とレーザーワイアの壁を巡らしている。一見、白いレースのベールが森の中で長い裾を引いているよう。避難民を自国や他の欧州諸国に入れないためだ。

4月11日(土)
「井浦新アジアハイウェイを行く」という番組でグルジアを訪れて放映。ワイン作りも、南オセチアから避難してきた人々も、伝統文化も、丁寧に撮影されていて心地よかった。トルコとアゼルバイジャンの間が印象的 

4月10日(金)
神山貞次郎写真集とともに一日をおくる。40年にわたる舞踏の記憶、いや記録。ずっしりと分厚い500頁の冒頭の15頁が笠井叡の舞台で、大野一雄とつづく。65歳で急逝した写真家の魂がりんりんと響く本だ。

4月9日(木)
稲田さんが言った。一日に一度感謝する、十度笑う、百文字書く、千文字読む、万歩歩く。でも、なんのためだったかしら。コニャックを飲みながら、岡野さん特製の椎茸のチーズ詰めを食べながら、我が家のお隣りで。

4月8日(水)

絢爛豪華なインドクジャクの写真を見た。もう何年も、何十年も羽を広げた孔雀を見ていない。昔はよく井の頭公園の丸い石の噴水のそばで、ばさっと羽を開いてとことこと歩くのを、いつまでもいつまでも眺めていた。

4月7日(火)

テレビで放映している韓国映画は夢中になるので観ない。歴史物の衣装や調度品は見るだけでもわくわくするし。今日は珍しく2時間現代ドラマを観た。香港のアンドリュー・ラウ監督でオランダが舞台の『デイジー』。

4月6日(月)

一日はなんて短いのだろうと思いつつ暮らしている。年とると一日が長いなどと言ったのは誰? たしかに、ただぼんやりしている時間もある。それも含めて、したいことの半分も、三分の一もやり終えないで一日が終わる。 

4月5日(日)

笠井叡と白河直子をもう一度みたくて、京都まで行こうかと思うほど。N響も聴きにいけないけれど、音は完全でなくともテレビで日曜夜に楽しめる。今夜はカゼッラの交響曲第三番を初めて聴く・・・あまり入り込めずに。

4月4日(土)

横浜のカルチャーはロビー・イベントで賑わっていて私たちのお茶の時間はキャンセルかと思いきや階段の踊り場に椅子を並べて下さり、いつもより膝突き合わせて歓談。私は夕べのおいしいマッコリで瞼が腫れていた。

4月3日(金)

仕事場に置いてあるので一気に読み終えられないのだけれど、夢中になっている1冊はヨナス・ヨハンセン『窓から逃げた100歳老人』。柳瀬尚紀訳は相変わらず最高で、スウェーデン語からの訳でないのだけが残念。

4月2日(木)

仕事部屋を移してから、パソコンに向かった時に隅田川が見えなくなっていたが、部屋を共有するMが机の位置をずらしてくれて、またいつでも目を上げれば川と市場と艀と舟と東京タワーが見える。川風はベランダで。

4月1日(水)

「ふゆごもりを おわらせて/ツキノワグマが でてきたよ/なにもたべずに いたんだもの/おなかが すっかり へったよね/たけのこ さんさい ブナのしんめ/やまのさちが におってる/お、お、お/こぐまが いっしょに でてきたよ/うまれてたんだね ふゆのあいだに・・・」(木坂涼『ツキノワグマ』から)