98字日記ー2018年10月

10月31日(水)
授業中に咳が出ることはなく、普段と同じように話していたつもりだけれど身体全体に虚脱感があって、このまま死んでしまいそう、といつものように大げさに思い、勝どきから自宅へはタクシーでぐったりと戻る。

10月30日(火)
思い出の続き。米国内を回ろうと友人とレンタルに行った。make?と聞かれて意味が分からず、例を示されてやっとシボレーのつもりでシェブロレー(Chevrolet)と言った。受付にシェヴィー(Chevy)ねと言われた。

10月29日(月)
昼の外光が眩しくて青いブラインドを下げたまま、ボイジャーから送られた佐藤秀明写真集『lonesome cowboy』のページを繰る。1967年以降のアメリカの景色が懐かしい。長距離バス、大きな空き家、シボレー・・・

10月28日(日)
好きな部分はほとんど隅から隅まで見つめた、と言える映画を家で見られるのはいい。あまり動きたくない日にはとくに。始まる前に小山薫堂が「これは the ですね」と紹介した。私もそう思う。TVで『パターソン』。

10月27日(土)
もやもやとした空気に取り囲まれたような身体の不調は、ひたすら寝ることでやり過ごす。天気の良い週末に動けなくなることは昔からよくあった。仕事は休まないので頑強だと思われていたけれど、そうでもない。

10月26日(金)
深刻な風邪をひいた感じ。少しずつ咳がひどくなり、今日はついに家にいることにした。経験的には外出した方が治るのだけれど、咳は周囲に迷惑となる。薬は生チョコに深蒸し茶・・・食べすぎ、飲みすぎかも。

10月25日(木)
ギャリコの『 Snowflake』を原書で読みたいという人がいて本棚のあちこちを探し、やっと見つけた。初期のネットで買った思い出の本であり自著にもそのことは書いた。今アマゾンでボロいのが1万円もするなんて!

10月24日(水)
来年の手帳を準備した。最初の3ヶ月の授業予定を確定したので書き留めておくため。といっても申し込まれなければ成立しない講座が四つ。まだ伝え終わっていないという気持ちと、もうそろそろという気持ちと。

10月23日(火)
夕方の暗さの訪れが早く、暑い夏からストンと冬になりそうだ。5時には夜の気配になっていて、それから家を出て夜の公演を楽しむ気持ちになれない。とくに音楽会から遠ざかってしまっている。寂しいのだけれど。

10月22日(月)
漫画家の内田春菊さんを取材した朝日朝刊「患者を生きる」に学ぶことが多い。3年前に59歳で大腸がんとなり人工肛門を造設するまでと患者の気持ちがよく分かる。ご自身の『がんまんが』という作品もあるとか。

10月21日(日)
最小限の使い方しかできていないスマホに驚くこともある。日本語で何か言葉を調べると、頼んでもいないのに自動的にジョージア語訳も出てくるのだ。ジョージアの文字で。私の心を読むような不思議な出来事。

10月20日(土)
友人と二人で「ラデュレ」で銀座四丁目の交差点を見下ろしつつティー。二階の大きな窓からは歩行者たちの顔が手で触れられるように近い。和光のディスプレイは駱駝のような白馬のような、何だったのだろう。

10月19日(金)
サーブの失敗って許せない。バレーボールで大事なポイントを取るべき時に入らないサーブは、どういうことと思う。錦織圭もファーストサーブが入らないのは単なる自滅。相手が強くて敗けるならともかくとして。

10月18日(木)
翻訳は原文あってこそ。原文が句読点に工夫を凝らしていれば訳文にも反映させたい。ところで今年の全米図書賞の翻訳部門で満谷マーガレットさん訳の多和田葉子著『献灯使』が最終候補5本に入っている。楽しみ。

10月17日(水)
世界オセロ選手権大会で福地啓介君が36年ぶりで最年少優勝者となり、話題騒然。私自身が全日本選手権大会に出ていたのはいつ頃か横浜のクラスで聞かれ、40代の頃なんていい加減な返事をした。60代近くです。

10月16日(火)
『ボナール展』がよかったと、Mが買った図録を置いていってくれたので、今日はそれをじっくり読む。これで会場でパネルなどを眺めずに作品と向き合える。さらに家でポンピドゥセンターの分厚いBonnardも。

10月15日(月)
三鷹駅前は北口、南口とも本当に変わった。でも当然のこと。私の記憶にあるのは垣根に囲まれた一軒家が並び、合い間に畑があったりする光景なのだから。昨日は姉と私と娘は福松で食事、ルノアールでコーヒー。

10日14日(日)
ジョージア映画祭が岩波で始まり、ルスダン・グルジゼ監督『スフヴィシ・サフリ(他人の家)』をみる。アブハジア紛争に翻弄されたジョージア人を象徴的に描いたようだ。降る雨と村の自然の美しさが痛々しい。

10月13日(土)
この前の東京オリンピックから半世紀と言われ、古いものの形容詞として昭和の香りなどと言われると、しみじみ昔の人間だという気がしてくる。でもわるい気はしない。その上に座っている実感がある。ふわりと。

10月12日(金)
オンラインチケット会員になっているシアターが会場の場合は当然チケットが取りやすい。でも単発で特別な申し込みをするときなどは、何と面倒なこと。私の世代はメールすらしない人が多いのに、不便なことだ。

10月11日(木)
中央卸売市場が今日、築地市場から豊洲市場に移った。その移転で晴海通りも常時、車の列が絶えない。場外は残るそうなので賑わいが絶える訳ではなさそう。でも茂助だんごは豊洲に行くと言っていたのが寂しい。

10月10日(水)
今日が体育の日という祝日だったのは2000年までで、私は古い記憶にいつまでもしがみついていることが分かる。2020年は7月の五輪開会式の日が体育の日で、スポーツの日となるのですって!どうでもいいけれど。

10月9日(火)
風台風による塩害、なんて初めて。バス停に向かう道の両側から頭上にかぶさる豊かな樹々の葉が、黄色になるどころかカラカラと茶色の姿で足元に転がっている・・・場所によってコスモスやキャベツも、とか。

10月8日(月)
ということで今日やっと『・・評伝石井桃子』を読み終えた。途中で絵本を確かめ全集を取り出し、寄り道が多かった。自分が本に引用した部分も読み直したり。翻訳者、著者、編集者のいずれも全力投球の人だった。

10月7日(日)
敬愛する石井桃子さんからいただいた葉書を見つけた。尾崎真理子著『ひみつの王国 評伝石井桃子』を何ヶ月もかけて読みながら、どこかにあるはずと探していた。2000年12月24日付。93歳でいらしたのだ・・・

10月6日(土)
横浜土曜クラスの後で、『ハックルベリーフィンの冒険』の訳を巡って柴田元幸さんのアメリカ文学についての単発講義があり、翻訳塾のかなりの人が聴くという。いい機会だと思う。既訳が30もある米文学の原点。

10月5日(金)
『ジョイ・ラック・クラブ』をTV放映でみる。原作の印象が強くて、映画としてはあまり、という何年も前と同じ感想だ、多分。でも映像は服装などがわかる。東京で会った著者エイミー・タンは優美なひとだった。

10月4日(木)
沖縄県知事に過去最多の得票数で新たに選ばれた玉城デニー氏の初登庁が、今日、各メディアで大きく報じられた。辺野古への米軍普天間飛行場移設阻止を掲げての当選。沖縄の人達の民意が報われますように。

10月3日(水)
ジョージア語のクラスが隔週ペースで、まだ日があると思うのが足枷になり宿題が間に合わなくて慌てる。翻訳塾の隔週クラスの人もそうかな。毎週ペースの方がリズムは取りやすい。時間を取れれば、だけれど。

10月2日(火)
「駅ピアノ」と「空港ピアノ」がようやくテレビ欄に載るようになり、偶然の出会いでなくなった。今日はアムステルダム駅、プラハ最古のマサリク駅、シチリア島パレルモ空港。住んでいる人より旅人が多い。

10月1日(月)
「夜が明ける。山々の頂が赤く染まり、霧が山上に集まった。村は目を覚まし,道を人々
が行き交う。飛び立ったクロハゲワシが山野を見回す。どれほど飛び回ろうとも空に
跡は残せない!」(ヴァジャ・プシャヴェラの詩『アルダ・ケテラウリ』から/児島康宏
訳)