月の歩きかた       マイケル・カーロヴィッツ

 

 

夜の魔法はそっとささやき、そして口をつぐむ。

君の頬の上に輝くのは、柔らかな月の光。

 ──ヴァン・モリソン「ムーンダンス」

 

月は大きな過ちを犯した

いつもより地球に近くすり寄ったのだ

そして男どもを狂わせた

 ──シェークスピア『オセロ』

 

雲のなかから威厳をたたえて昇る月は

ついに女王としてその比類なき光を現し

暗闇に銀色のマントを投げ放った

 ──ジョン・ミルトン『失楽園』

 

地球との距離の近さ、そして日々刻々と変わるその姿かたち……

月は、つねに地球人の心をとらえてきた

 ──ジュール・ヴェルヌ『地球から月へ』

 

人間は月である。

だれにも見せない影の部分をもっているから。

 ──マーク・トウェイン

 

 

 太古から、私たちは天を仰ぎ空を眺めた。だからこそ月と太陽は、宗教のシンボルや芸術のモチーフとされ、ひいては人間とは何かを考えるうえでも重要な役割を果たした。月は神として、あるいは神の意志を告げるものとして、この世の万象に影響を及ぼしている。そんな月を人間は畏敬し、月に神秘の力を見出してきた。

 月の性別や役割は、時代や文明によってさまざまである。古代エジプト時代には、トキの頭をもつ男神ジェフティ(ギリシャ語ではトート)が月と結びつけられていた。ジェフティは夜空の主、時の管理者、暦の創造主、霊魂の支配者である。ある神話では、トート神は5日間の月光をめぐって月の神コンスと賭けをしたと伝えられている。

 文明発祥の地メソポタミアにおいて、シュメール人は月の男神ナンナを崇拝していた。ナンナとは「照らす者」という意味で、バビロニア人やアッカド人にはシンという名で呼ばれた。シンは神々の長そして父であり、遊牧民たちにとって特別な存在だった。言うまでもなく、遊牧民にとって月の光はなくてはならない夜の明かりである。

 ギリシャでは、女神セレネ(ローマ神話のルナ)のために生け贄を捧げる風習があった。セレネとルナは月の化身で、兄である太陽神を追いかけて天空を移動する。彼女たちは豊穣と恋物語とで知られたが、やがてポイベ、アルテミス(ローマ神話のディアナ)と同一視されるようになった。ポイベとアルテミスも月の象徴であり、豊穣と子孫繁栄の女神である。

 いっぽう中国では月にうさぎが住むと語り継がれていて、それはこんな伝説にもとづいている。3人の仙人が哀れな老人に姿を変えて、きつね、猿、うさぎに食べ物を乞い求めた。きつねと猿は分け与える食べ物をもっていたが、うさぎは何も用意することができず、私の体を食べてくださいとみずから火に飛びこんだ。仙人たちは心を動かされ、うさぎを月の宮殿に住まわせたという。

 イヌイットの人々のあいだでは、月の神が妹である太陽神を追いかけて天空を移動する、と言い伝えられてきた。月の神は妹を追いかけるのに夢中で食べることを忘れ、その体はだんだん痩せ細っていく。やがて月はしばらく姿を消すが(これが新月のころにあたる)、ふたたび現れて妹を追い始める、という物語である。

 やがて時とともに、世界中の多くの地域では、一神教のもとに月の神殿や月信仰が廃れていった。とはいえ、はるか昔につくられた月の象徴やそのイメージは、現在も生きながらえている。ユダヤ暦は月の周期にもとづいて定められ、またイスラム教の聖なる月ラマダンは、新月の夜に始まる。天の女王としての聖母マリアは三日月の上に立つ姿で描写され、月と同じように彼女の息子である太陽の光を反射している。古代宗教における月母神の多くがマリアに継承された、という説もある。

 

 現代にあっては、月を神や女神だと信じる人はむしろ少数派だろう。しかし、月を芸術の神(ミューズ)になぞらえる人は少なくない。ルキアノスからジュール・ヴェルヌ、ウィリアム・ブレイクからH・G・ウェルズ、アーサー・C・クラークからマーガレット・ワイズ・ブラウンまで、数多の作家が私たちを月へ連れて行き、そして月を地球へと連れてきた。狼男や狼人間の物語は、口承や書物のかたちをとって数百年の昔から語り継がれてきた。もっとも、「狼憑き」が満月と関連づけられるようになったのは19世紀以降のことである。

 音楽家たちもまた、さまざまなかたちで月の神秘を表現してきた。叶わぬ恋の物語から狂気と怪物の物語、ときには郷愁を誘うセンチメンタルな物語まで……。ドビュッシーは「月の光」を、ベートーヴェンは「月光」を作曲した。ナット・キング・コールは「それはただの紙でできたお月さま、厚紙細工の海に浮かぶ」と歌い、ピンク・フロイドは「月の裏側にいるあなた」を歌った。「バッド・ムーン・ライジング」、ぽつんと佇む私たちを見守る「ブルー・ムーン」、川幅が1マイルを超えるという「ムーン・リバー」、「ウォーキング・オン・ザ・ムーン」など、月を歌った楽曲は数えきれない。フランク・シナトラとアレンジャーのネルソン・リドルが1966年に出したアルバムは月に捧げられ、その名も『ムーンライト・シナトラ』である。

 

 さらに私たちは、新しいことばをつくるときにも月を借り出すことがある。たとえば「ハネムーン(蜜のように甘い月=新婚旅行)」は、月の満ち欠けを恋愛や結婚生活の浮き沈みにたとえた語だという意地悪な説がある。幸せの絶頂期をこうよぶことで、やがて愛が冷め、だんだんと欠けていくことを暗示しているわけである。なお、中世には、新婚カップルは結婚から1カ月間、つまりいちばんしあわせな時期に甘いはちみつ酒を飲むという習慣があった。

 

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『月の歩きかた』(マイケル・カーロヴィッツ著)より

 

The Moon

Michael Carlowicz