チンダルレコッ(つつじの花)       金素月(キム・ソウォル)

 

わたしを見るのも嫌でたまらなくなって

行ってしまう時には

ただ黙ってしずかに見送りましょう

 

寧辺の薬山

つつじの花

両手いっぱいに摘んで、行く道にまいてあげましょう

 

行かれる、ひと足ごとに

その置かれた花を

そっと 踏みしめていってください

 

わたしを見るのも嫌でたまらなくなって

行ってしまう時には

死んだって けっして涙をこぼしたりいたしません

 

(1922年の作)

 

金素月(キム・ソウォル)

1902年朝鮮の平安北道(現在の北朝鮮)に生まれる。本名は、金廷湜(キム・ジョンシク)で男性である。近代朝鮮の若者として大きな志を抱いて日本に留学、日本商科大学(現在の一橋大学)で学ぶ。関東大震災をきっかけにして、帰国し、詩作を続けた。朝鮮半島の民衆に伝わってきた歌を研究していたと言われ、平明な表現で、人の心情(恨=ハン)に迫る、朝鮮近代詩のあたらしい領野を開拓した。それは、彼が一度祖国を離れ、日本語の海を航行したことによって、母語の朝鮮語の表現の豊かさや民衆文化の深い源泉に強く揺さぶられることになったからではないだろうか・・・この点について、わたしは長く関心を寄せていて発表した短文があるので、追記したい。

当時の文壇でも一世を風靡した金素月であったが、実生活では、事業の失敗が重なり困窮を極め、1934年無念の自死という運命をたどる。

なお「チンダルレコッ(つつじの花)」は、90年の歳月を経ても、韓国でもっとも愛誦されている詩である。

 

訳/韓国語から

  

追記(死と詩「季刊びーぐる 詩の海へ」第9号掲載、2010年)


 

 

まひる     鄭芝溶(チョン・ジヨン)※ニホン語で書かれた

  

しんに さびしい

ひるが きたね。

 

ちいさい をんなのこよ。

まぼろしの

ふえまめを ふいてくれない?

 

ふえまめふく ゆびさきに

あをーい ひが ともる。

そのままにして きえる。

 

さびしいね。

 

(『近代風景』初出 1927年7月)

 

 産まれ落ちたクニと、父母のクニが違う場合、そのコの母語は育つクニものになるのが流れというもの。わたしもまた、そのコである。わたしは産まれ落ちて育ったクニのことば、ニホン語が母語である。父母のクニのことば、朝鮮語を認知したとき、父母が全生活における脅威という理由もあり、朝鮮語に嫌悪を覚えた。10代の終わりだったか、植民地時代の朝鮮の若き詩人、東柱(ユン・ドンジュ)の詩を伊吹郷の訳によって読んだとき、嫌悪の固まりが溶け出した。凛とした意志にふれ、痛かった。朝鮮半島よりもっと北方の地に生まれ育った東柱が1920年代から30・40年代へと感化されたことばのモダニズムは、母語ではないニホン語、英語、フランス語からひらかれた、その現実=リアリティ。さらに一世代上の詩人、鄭芝溶(チョン・ジヨン)にいたってはニホン語で詩を書き、北原白秋主宰の詩誌『近代風景』に投稿し、称賛と共に掲載された。そのコたちのことばの海のなんと広く深く、熱いしぶきをたたえていることだろうか。

 東柱は第2次世界大戦の末期、27歳で獄死、芝溶は朝鮮戦争の混乱の中、48歳で行方不明、ふたりともに、ことばの表現の風景をひらいたクニの闇によって葬り去られた。

 詩=死=シという同音がかれらの耳の底をころげ落ちていくとき、口の中で

苦くまどろっこしく味わったものがいまもわたしたちの胸を焦がしている。

 

参考文献

『朝鮮最初のモダニスト 鄭芝溶』吉川凪著(土曜美術社出版販売 2007年)、『空と風と星と詩 東柱全詩集』伊吹郷訳(影書房 2002年第2版)